■「ハーフ」だから特に何だと思うことはない。メディアで良く目にするし。ただ、それは「タレント」というフレームワークの中で見ているからかもしれない。日常生活の中で接していたらまた違った印象を受けるのかもしれない。と、いうようなことを考えさせられる展示が3331であった。そういう展示があることは知っていたんですが、実際に見てみると印象が違った。印象が違ったというか、「……人」という認知フレームが自分の中ではだいぶ強固なものだということを認識させられました。
3331は地下鉄の方がアクセスには良いのですが、自分にはJRで秋葉原駅というのが一番アプローチしやすい。秋葉原に着いたのは盛夏・土曜日の午後。日曜日ほどではないにしても、混雑ぐあいは結構なもの。ただ、面白いのはこれだけの人が集中しているのは駅周辺の数ブロックで、末広町駅を越えてしまうと通りに殆ど人影はないことで、秋葉原というのは殆ど「現象」みたいなものなのだなあ、と。
3331アーツ千代田は表通りから離れた区画にあって、秋葉原とはだいぶ雰囲気が違う静かな場所。表に人が少なかったのは強い日差しを避けているからかもしれません。施設内では子供向けのワークショップが行われていることもあってかそれなりの人出が。
「ハーフ」(Hafu)は3331オープニング企画のパート2として、入居団体の活動報告として行われたプレゼンテーションの一部で、ハーフプロジェクトによるパネル展示です。パネルは顔写真で、どのような人たちの写真が展示されていたかというのは'Half Japanese'プロジェクトのサイトで。
プロジェクトとしての主張があり、その目的の下での人選が行われたと思うのですが、いずれも「一見して」日本人とは認識できません。もともと「日本人」として認識できるというフレームワークが妙な話で、極東アジア地域の遺伝プールの中で、外見だけで判断することはもともと困難です(韓国人とか)。
言葉通りの意味で「ハーフ」というのであれば、いわゆる「在日」周辺もそのくくりに入るると思うのですが、しかし、プロジェクトのスコープからははずれている。アイデンティティの問題であれば一見して日本人に見えてしまう彼らも課題を抱えているのですが、そのあり方がプロジェクトで取り上げられる「ハーフ」達とは逆だということなのでしょう。ハーフプロジェクトの「プロジェクト紹介」の中に「日本社会がなぜ自分を普通の日本人として受け止められないのか」という一文がありますが、おそらくこの疎外感のあり方はアジア域内での「ハーフ」とは濃度が異なるのでしょう。
それはもしかしたら、彼らがもつもう一つの母国が、それなりに移民文化を持っていることとのコントラストが作り出しているのかもしれません。
そうした政治的なフレームワークとは別に、もっと単純な認知レベルの問題として、自分が誰かの顔写真を見た時に、ほとんど自動的に血統的な出自地域を推測していることに気づかされます。もっと平たく言えば、ハーフ展で展示されているポートレートを見た時に「日本人ではない」という認知の仕方をしている。一旦そのように認知して、各自のプロフィールやインタビューを読んで戸惑うことになりました。自分自身の政治的なポジションは別として、より低いレベルのメカニズムではそうした仕掛けが依然として残っている。そういうことに気づかされた展示会でした。