■夏休みから始まった東京オペラシティアートギャラリーの特別展は現代美術ではなく、近代絵画。国立新美術館のポスト印象派展と歩みを合わせた『アントワープ王立美術館コレクション展』は副題に「アンソールからマグリットへ」とあり、英題を読めば1880-1940の期間におけるベルギー絵画の変遷であることがわかる。邦題と英題が微妙に一致していなくて、しかも英題の方が内容をよくあらわしているというのはなんなのか。別にTOCAGに限らなかったりするのですが。
それはともかく自分ではあんまり気が進まなかった近代絵画。別に気取っているわけではなくて、人物画や風景画に感じるものがないのが正直な理由で、今回幾つもの絵画を見て気づいたのは、自分は絵を見ているというより、絵から記憶のリファレンスを呼び出しているらしいことだった。並ぶ絵画は写実的なものから、ディテールを殆ど失ってシンボルの集合になってしまったようなものもあったのだけど、自分が見た覚えのある景色であれば、絵画からその実際のシーンを想起できるような気がした。ただ、幾つかは、自分が何を見ているのか見当もつかないものがあった。ディテールが細かいものは、実際に現実のその場を見ていない(なにしろ場面はベルギーで、自分はベルギーに行ったことがない)にしても何を見ているのかは類推できる。しかし、ディテールが失われてしまうと抽象度が上がり、色彩のコンポジットに還元されてしまう。
ただ、そこまで極端なものは希で、もともとが具象なので何を描いているのかはだいたいわかる。会場の構成は時代を追っていくもので、絵画の特徴が会場のコーナーと共に移り変わっていく。印象に残る作品はいくつかあるが、TOCAGにある特別展のページで紹介されているものとほぼかぶってしまうのは残念なところ。特別展はシュルリアリズムのマグリットをもって終わるが、この流れを受けるように常設展時は幻想絵画『幻想の回廊』。正直言ってこちらの方が強く惹かれた。写実的でありながら、現実にはあり得ない光景。幻想絵画がどれもディテールの細かい具象絵画の形態を取っていることにTOCAGのパンフも触れていたが、絵画はもともとが幻想絵画的、フィクショナルなものだ。だからこそ、「現実にあり得ない」という感覚を呼び起こすために、それら絵画はディテールを持たなければならない。
新人の作品発表に使われるプロジェクトNは川見俊。〈地方の家〉シリーズはその名の通り地方都市で見られる一般住宅をただ描いているだけの作品だが、特異なのはそれらの家がディテールを失いのっぺりとした色彩の塊として描かれている点だ。ここでは『幻想の回廊』の作品群とは逆に、現実を描きつつもそのディテールを取り除くことで幻想的な景色を作り出している。ディテールを失って描かれる家々は、ディテールをもって描かれる家以外の背景・前景の中で大きな存在感と違和感を持って存在する。そのプラスティッキーな家の姿は、今の地方都市の周辺に希薄にスプロールしていく新興住宅地の中で見る真新しい家々の印象を思い出させる。かつてその土地にあったであろう伝統的家屋の形態を打ち捨てて、〈中央〉の郊外でよく見られる規格品の家が建てられる、その不連続性を、その土地における生活史の薄さを思い起こさせた。