■丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で「シッケテル」を観たあと高松市へとって返して、市美で「コンテンポラリーアート・アニュアル01」を観て、そろそろ出航の時間。高松港で男木島へ向かうフェリーのチケット売り場へ。今回観ておきたい島3つ。男木島、女木島、そして犬島。問題は犬島で、どうみてもアクセスが悪い。男木島と女木島はフェリー便がそれなりにあるけれど、2島回ると半日かかる。犬島へのアクセスは直島から豊島を経由する高速船しかないけれど、これが1日3本。しかも、最終便は犬島の公開時間ぎりぎりで使えない。となると昼便ということになるのだけど、これを使うには、午前中寄れるのは1島が限界。しかも人気の航路でキャパの小さい高速船であれば、待ち時間を多く取らないとならないことは予想できた。
なので、可能ならば先に男木島、女木島を先に見て、翌日犬島、というのが現実的なプラン。なのでまずはフェリーで男木島へ。ここのお目当ては大岩オスカールの作品。合わせ鏡の大部屋に島の風景をペン画で壁一面に描き、その絵が鏡の中で円環のように伸びる。会場はそれほど広くはないが、鏡の効果で無限の奥行きを持つ。大岩の作品は都現美での「夢見る世界」や岐阜のギャラリーでの小規模な個展以来ですが、ペン画は初めて見ました。それが「島の景色」の記憶をモチーフにしていることはわかるのですが、ただ、その景色が島に上陸した自分の見た景色とつながらず、どこかしっくりとは来ませんでした。(大岩の作品は9/26に展示会場付近で出火した火災で焼失しました)
幾つか印象に残る作品はありましたが「音の風景」(松本秋則)が最もしっくりと来た作品かもしれません。かつて鶏を飼っていたであろう小屋の中に鶏の尾羽を吊るして鈴を鳴らし、民家の敷地内で木製の民芸品を叩いて鳴らす。その音は土地の過去を知らない人間にも、なんとか過去の風景を想起させてくれます。
大岩オスカールの大作にしろ松元秋則の小品にしろ、あるいは他にも「雨の路地」(谷山恭子)にしろ、懐旧をベースにしているのが共通しています。確かにこの島を題材にしたサイトスペシフィックな作品であればそうしたフォーマットを持つのは必然でしょうが、ただ、問題は島そのものは緩やかに衰退している点でしょう。その状況下で展示される作品はどれも島への追悼のような意味合いを帯びてしまう。もちろん、こうしたイベントによって島々がまたもりかえす可能性はありますが、ただ、こうした「アートパーク」化で盛り返した島は、かつての島とは違ってしまうでしょう。
男木島を後にして、女木島へ。こちらは男木島とは違い平野部がそれなりにあって集落の作りも違う。隣の島なのに地勢が異なり、集落の作りも違う。その違いは必然なんですが、実際に目の当たりにすると面白い。この島でのお目当てベネッセによる「福武ハウス」メジャーどころのギャラリーがそれぞれの作品を持ち寄って展示している、ぜいたくな会場。会場に使われているには小学校の校舎なのですが、夏休みをとうに過ぎてなお展示に使われているということは、廃校になっているということなのでしょう。
リノベーションしたオルタネートスペースというのはその施設の「記憶」を展示作品が否応無くコンテキストに持たされるので面白いところがあるのですが、ここの土地では「先の見えなさ」がトーンを暗いものにしてしまいます。確かに展示作品はどれも面白い、それは確かなのですが、それらの作品が島の生活とは無縁の場所で制作されたことが明らかであるが故に、どこか暴力的な色合いを帯びてしまいます。
2つの島を楽しみながらも、手放しでは喜べない、微妙な感想を抱えながら高松へ。高松で1泊して翌日は犬島めぐり。アクセスに不安はありますが、1日あればなんとかなるでしょう。