■原美術館。海外アーティストの日本国内におけるアーティストインレジデンスプログラムにより制作されたグループ展。アーティストの出身国は、アフガニスタン、インド、アルゼンチン、インドネシア、アメリカとなる。どちらかと言えばアジア圏が多いかな。インド、インドネシアあたりは福岡のアジ美や、横浜トリエンナーレなどで目にしているけれど、写実的な作品を除いて、造形の感覚がなんか見慣れない感覚がある。
取り上げられた題材や、造形的なモチーフそのものは珍しくはないのだけど、作品として具体的な形になってくると微妙に違和感があり、それが面白かった。アーティストの中で唯一アメリカ人なのはメアリー・エリザベス・ヤーボローで、この人のダクトテープを使って日常的な景色を非日常なものにかえてしまう作品は解りやすかった。テーマや、そのテーマを造形に落とすセンスなどに馴染みがあるのだと思う。つまり、自分はそうしたセンスについてアメリカナイズされているということなのかもしれない。
とは言っても、やっぱり印象に残ったのはそのヤーボローの作品で、おそらく古い写真をベースに、ダクトテープをトーンのように使ってイラスト調に仕立てているのだけど、その画像の一部を欠落させ、風景としては異質なものカラーの平面で埋めてしまう。
例えば'Chenge'は、日常の光景、おそらくアメリカのベッドタウンでのイベントで、近所の人がどこか広い場所に集まっている場所を空撮した写真をイラスト化し、同時に、画像のほぼ半分を欠落させ、黒々とした平面で埋めてしまっている。その結果できた作品は、日常が崩壊しているような効果が生まれている。
日常の中にぽっかり生まれた穴は、見慣れた毎日が見知らぬ明日へと変化していくことを予感させる。
ヤーボローの「穴」、あるいは「空白」の表現は単純で、アクリル板の地をそのまま見せているだけだ。ただ、景色を表現する手段として使われている着色されたダクトテープが持つ質感と馴染んでいて、そのことが、画像のオリジナルには無かったはずの「穴」「空白」をリアルに想像させる。
そうした、「表現したいもの」-「表現する手段」の対応がヤーボローの作品からは馴染んだ感じとして印象を受けていて、それが文化的背景によるものなのか、あくまでも作家性によるものなのか、そこはまだ良くはわからない。ただ、文化的背景なのではないかという気はしている。美術作品には視覚言語的な要素があるから、あるマーケットの中で活動してきたアーティストはそのマーケットなりの言語に「訛って」しまうのではないか、そんな気がしました。