■名古屋-横浜を往復していて、基本は計画的に移動しています。東海近辺のアートシーンと横浜周辺のアートシーンというのが言うまでも無くあって、うまく計画するとあっち行ってこっち行って、東海・関東の美術館やオルタナティブスペースでの展示を交互に見ることができたりする。でも時々不測の出来事というのはあるわけで、その計画も狂ったりすることがないわけでもない。そういうことが先月あって、ちょうどあちこちの大型美術館の企画展示が切り替わる隙間みたいな時期で見たい展示の巡回計画が崩れてしまった。で、そんな時でなければと行ってみたのが静岡県立美術館だった。
静岡県立美術館(SPMA)は静岡駅からバスで30分か、あるいは静岡鉄道の県立美術館前駅から徒歩10分か、ということらしいので静岡駅から静岡鉄道の新静岡駅まで移動することに。ところが静岡駅構内に新静岡駅への案内表示らしきものが見当たらず、記憶を頼りに北口から出る。静岡駅から新静岡駅は道路で一本、のはずなのだけど、地上から徒歩でアプローチするとぐるっとまわることが判明。駅前ターミナル前に国道1号が東西に走っているのですが、これがターミナルと直結するペデストリアンデッキもなけりゃ横断歩道も歩道橋も何にもない。地下道があるようなのだけど、アプローチがよく解らない。ひでえ造りの街だ。
新静岡駅というのもひどい造りで、ホームは地上にあるのに改札が地下にある。正確には商店街となっている地下街に直結しているので、その意図はわからないでもないけど、地上を歩いてわざわざ地下に潜って改札抜けるなんて初めてです。珍しいと言えば珍しいけど、へんな造りだなあ。土地の人間しか使わないからと開き直っているのか。地上改札探して少し迷ったよ。
今思えば、この妙に不親切な街の造りは美術館での体験を予感させていたのかもしれない。
静岡鉄道は二両編成のワンマン運行。ラッピング広告で車輌全体を塗られた編成のものが数パターンあるらしく電車に乗っていた「はじめてのおつかいふう」少年が「あ、午後の紅茶だ」とか声を挙げていたのが印象的。
列車は10数分で県立美術館前駅に到着。この駅舎がまた小さいながらも駅ビル風で驚きました。街並みに溶け込んでいるというか、まるでここに駅舎があることを隠しているかのような馴染みっぷりです。
駅から降りて丘を登っていった先に美術館はあります。途中、彫刻作品が展示されている散策路を通るようにアプローチが工夫されています。
美術館に入るとまず1Fロビーで、チケットカウンターはあるんですが、これが団体用になっていて、個人向けの窓口が見当たらない。あたりを見回して、立て札で「風景ルルル」の個人向けチケットは2Fの展示室前で販売しているらしいことがわかる。なんだそれ。これが静岡の流儀なのか、とだんだん解ってくる。
チケットを買えばあとは普通に美術館。雰囲気的には岐阜県立美術館に近いかな。薄暗くて、天上が低くて、そこはかとなく古びた雰囲気。
入ってすぐ目に入るのが照屋勇賢の'Notice-Forest'。テーブルに置かれた展示方法で、袋の中を覗きにくいのが残念。同じブースの壁を飾るのは高木紗恵子。HPの画像だと単なるドローイングのように見えるんですが、実際にはドローイングの上にきらきらしたオブジェクトが散らされたように配置されていて、ちょっと立体っぽくもあります。ただ、展示室の照明が壁面展示の直上からされているので、ドローイング表面のオブジェクトが影を作ってしまい、ちょっと見づらくなっているような印象もありました。もう少し斜め前方から照らすようにしたらいいのに。きらきらとしたオブジェクトが明るく跳ねて、楽しげな躍動感を覚えました。
照屋勇賢さんのデザートプロジェクトに属する大型作品2点は、世界観のアイシングモデルというか、ただ、ちょっとパフェにしては色がどくどくしいかも。今までの世代はこのおいしそうな環境を食べ尽くそうとしているのかもなあ。
パフェ2点を見ながら移動すると、鈴木理策さんのネイチャーフォトで、一部は先日都写美の『熊野、雪、桜』で見かけています。ただ、展示方法に都写美の時のようなインパクトはなく、普通のパネル展示です。こうしてみると、'Notice-Forest'の周囲に鈴木理策さんの写真があった方が良かったんじゃないかと思うのですが、それは陳腐なんでしょうか。
その隣は内海聖史さんのドットパターンの作品群なのですが、この展示室はガラスケース付きで、展示壁手前のガラス窓には天井から下がり壁があるため、離れて鑑賞することができず。都現美の「屋上庭園」展での大きな吹き抜け空間を使った展示は観る側に強い開放感があって心地よかったのですが、それがここでは小さなブースにしまわれてしまって窮屈そうです。ただ、大型の作品は美術館のロビーに展示されていて、あまり注意を引いてはいないようなんですが、そちらは気持ちのいい広がりを感じさせてくれています。
佐々木加奈子さんの写真作品は風景写真というか、セルフポートレートで何がしかの物語を想起させようというもので、方向性は少し違うけれど、先日原美で行われた 米田知子さんの「終わりは始まり」の写真を連想させなくもありません。ただ、米田さんの写真のようなジャーナリスティックな堅さはありません。
小西真奈さんのドローイングは遠めに見ると写真かと思うのだけど、近づくとドローイングであることが解る。Photoshopの絵画変換フィルタを通したような、というのが簡単な説明になると思うけれど、サイズがPCのディスプレイとは比較にならないほど大きいので、絵から受ける印象がだいぶ違います。一見しての印象が写真を連想させるので、実際にありそうな場所なのですが、良く確認しようと近づくと実はドローイングで細部は省略されてしまってよく解らないことになっています。そのためか妙なもどかしさを感じました。もっと良く見たいのだけど、見れない、自分の視神経にフィルタされているといった感じ。描かれているオブジェクトのシルエットについてはディテールがあるのだけど、サーフェイスについては省略され、匿名化されてしまっているからなのかもしれません。
他には常設展示として、草間彌生さんの『水上の蛍』があって、これは良かった。仕掛けは単純で、鏡張りの立方体内部に色とりどりの電球がぶら下がっていて、観客はその立方体内部で短い間滞在するだけなんですが、無限遠に広がる空間に様々な色の蛍が乱舞している様で美しい。草間さんというと「水玉」ですが、その水玉が奥行きを持った空間に拡散する光点に変換されたような感じがしました。足元には水が張ってあり、もしかするとそこは三途の岸辺なのかもしれませんが。
全体としては、なんだか妙に残念感が残ったのですが、それは美術館付属のレストランでさらに強化されることに。店内には空きテーブルがあるのに入り口前のウェイティングスペースで待たされてほったらかしにされるし、フレンチメニューを頼んだら定食みたいにパンとサラダとスープがいっぺんに盆の上に載って出てきたり、食後のコーヒーが出てこないので、変だなあと思ったら、ウェイターは店内のワイシャツ姿で昼間からビールくらって注文ばかり重ねている3人組に注意が向いていて他の客が見えていないらしい。帰りの新幹線の時間があったので、コーヒーはキャンセルしてそのまま出た。
なんか、こう、全体的にがっかりな静岡行でした。でもお土産に黒はんぺんは買ったけどね。