■PARASOPHIAの続き。現地で撮った写真を振り返ってみると、作品の殆どが京都市美術館に集中していたのですが、周辺にぽつんぽつんと面白い作品がありました。周辺にあるのはいわゆるサイトスペシフィックな作品で、美術館の外に設営される作品です。名古屋や札幌で開催された都市型の国際現代美術展と同じく、都市再開発、あるいは都市圏が縮退する中で消えつつある街の記憶をフィーチャーするスタイルを持ってはいるのですが、形式的になぞっているように見えるのが面白いところです。名古屋、札幌での美術展はそれぞれの都市が持つ問題点や歴史をテーマにした作品が少なからずあったのですが、京都での展示ではそれはなく、あくまでも展示会場としての器を提供しているような印象です。
市街中心から少し離れた団地(堀川商店街)の室内を使ってピピロッティ・リストの作品展示がありました。作品はいつものリスト作品で、それが古びた室内空間の中に出現するのが面白いのですが、他所から来た人間にとっては「堀川商店街」の歴史的・地理的な位置づけを知らないので、表層的な見方しかできません。どこにでもありそうな古びた昭和の建物の中に現代美術作品が嵌め込まれているようにしか見えません。要するに「いちげんさんお断り」なんですね。
京都市美に入って感じたことは「都市型国際現代美術展の巡回展」みたいだなということだったのですが、それは形式として他都市で開催された展示を形式的に真似ている印象を受けたことによります。京都という土地で現代美術展を展開すること、そのものについての問題があったのかもしれませんが、それはうかがい知れません。京都は観光都市としての側面はありますが、それ以前にそこに住む人たちの空間で、そこには特有の問題があると思うのですが、そこは容易く余所者には見せないのかもしれません。
京都も他所の土地と同じく少子化の問題に直面しているらしいことが垣間見えたのはヘフナー/ザックスの"Suujin Park"(崇仁公園)ですが、作品の背景は明確に提示されていません。基本的に地元の人向けの展示なのだろうなという印象はここでも残ります。面白い空間だったのは確かなのですが。