■前日男木島、女木島をまわった後、高松市内で一泊。うどんの食べ歩きも少しはしたのですが、1日歩き回っていたのであまり散策もできず。ホテルに戻って犬島のルートプランを確認などしていました。ただ、まあ、なんというか、人出の規模を完全に読み違えていました。朝一番のフェリーで直島に渡り、直島の作品を少し見てから高速船に乗って犬島へ、などと考えていたのですが、直島行きのフェリー乗り場へ行ってみれば、これがどう見ても1便で乗り切れるとは思えない人数が待合所からあふれて表に列を成している。フェリーに乗れなければ次の高速船なんでしょうが、それで捌ききれる人数ではないし、よしんば直島に渡っても、その先で詰るのは目に見えている。直島ルートは捨てました。
直島ルートを使わないとなると、次は昨日の男木島を経由して豊島に渡り、そこで犬島への高速船を使うというルートもありますが、これも結局は高速船のキャパの小ささと便数の少なさがボトルネックであり、豊島で詰るのが目に見えている。つまり、豊島経由のルートが使えないので、残るルートは岡山の宝伝港経由しかない。早速松島駅へとって返して岡山駅へ。岡山駅から宝伝港行きの直通バスに乗り、宝伝港から高速船。このルートも意外と人は多かったのですが、順調に、昼前には犬島へ渡ることができました。
犬島の施設はかつての銅精錬所施設をリノベーションしたもの。中の展示作品は常設で三島由紀夫をモチーフにしている。ここも記憶・懐旧がモチーフでこうなると、日本にはもう過去の記憶しかコンテンツがないのかという気になってくるのだけど、もちろんそれは錯誤で、ここの島々に対するアーティストサイドの印象がそうした作品に仕立ててしまうのでしょう。
ただ、犬島についていえば、精錬所というのものが産業遺産であって、その意味で懐旧をテーマにした作品を持込むのは自然だと思います。ただ、それでもなぜ三島? という気がしなくもありません。
精錬所そのものはよく保存された廃墟(?)で、よくあるファンタジーRPGの舞台に使われる廃墟のようでもあり、面白い場所でした。そしてやはり景色が美しい。作品鑑賞という意味では、一度来ればそれでいい場所ですが、保養という意味では時々再訪したい場所…とかなんとか思っていたら、帰りが大変なことになっていました。
戻りは昼過ぎの便を使うつもりだったのですが、ちょっと時間をぎりぎりに詰めて回っていたので船着場に着いたのは10分程度前。その時点で行列ができていて、どうみても高速船1便では乗り切れない人数でした。ただ、朝直島行きのルート選択とは違って、伝宝港へとにかく渡らないと帰れないので、ならび続けるしかない。案の定、1便では収容しきれず、次の便待ちに。そうして1便待っている間にも待ち行列は伸びていき、結局臨時便も満席に。
バス輸送以上の人数で不思議だったのですが、伝宝港周辺には臨時の駐車場があちこちに作られ、自家用車で来訪した人がだいぶあったようで納得。ただ、こちらはバスを1便乗り遅れ、1時間半待つことに。でも、まあ、待つことには慣れている。
先回、豊島を訪れたときも感じていたのですが、この瀬戸内国際芸術祭では移動コストが高すぎます。都市部で開催されたあいちトリエンナーレと比較してしまうと、あちらも分散会場ですが、名古屋では徒歩でほぼ網羅できたのに対し、こちらは船を使わざるを得ず、その便数が足りない。Twitterなどではチャーター便への言及もあったのですが、来場者数のスケールを把握できていないことは確かで、あの朝の人数を捌くと、おそらく商売としてのチャーター船だけでなく漁船まで駆り出されることになるでしょうし、そうなると、今度は島の港湾施設の貧弱さがボトルネックになるでしょう。船を待ち、乗るだけで大きな時間と料金を取ってしまうというのは都市部のビエンナーレ/トリエンナーレに比べると大きなハンデです。1日に回る島の数が多くなるほど、移動コストのオーバーヘッドが占める時間は大きくなっていく。もともと、この地域の交通インフラは、このイベントに訪れるような大人数を想定していない、牧歌的なスペックです。今後も島嶼を舞台にした芸術祭が開催されるのかはわかりませんが、ロジスティックは課題になるでしょう。主催者がそうした社会インフラに基ずく課題に気付いているのかは解りませんが、山間部で実施するのとは違う課題があるのは確かだと思います。出品作品が決して悪いものではないだけに、まったく別次元のロジスティックの課題で人を遠ざけてしまうようなことになるとしたら、あまりにも残念なことです。