■広島市現代美術館の企画展。久しぶりに比治山へ。東日本大震災が発生したのは広島へ行く前の週のことで、その後福島第一原発のトラブルが発生して大変なことになっていた。広島はもちろん被爆の地で、福島の被曝の危険性とはまた性格が違うのだけど、核技術による被害を受けた/受けている土地であることに違いはない。なんとなく重い気分で山を上った。
サイモン・スターリングは技術と自然の界面をテーマにしたパフォーマンスをするアーティスト。1Fは過去の作品で、外来種による生態系の擾乱、自然破壊、核兵器のおろかさをテーマにしたインスタレーションやスライド。スライド展示の『オートザイロパイロサイクロボロス』は英国の原子力潜水艦『トライデント』の基地があるロング湖で実行された。この土地では他にも平和運動が行われている土地で、その意味では政治色がかなり強い作品になる。
会場はB1Fへ続き、そこでは新作の「仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)」が展示されている。「仮面劇」は能の「烏帽子折」のストーリーに原爆誕生に関係する人々を虚実を問わず配役し語りなおすビデオ作品。作品として能面が展示されるが、能舞台そのものが演じられるわけではない。ストーリーはビデオの中で、能面打ちが面を作り出していく場面にかぶせて語られる。
その再構築されたストーリーの中でフォーカスされるのは「アトム・ピース」(atom piece)というヘンリー・ムーアの彫像作品だ。原爆のキノコ雲にも似たフォルムを持つ作品はシカゴ大の原爆実験場跡に配置されたが、シカゴ大は'piece'という単語が'peace'を連想させるとして、'nucluear energy'に改題した。このダブル・ニーミングにまつわるエピソードに象徴される「アトム・ピース」の二重性をキーに、「アトム・ピース」は「烏帽子折」における牛若丸/源義経に配役される。
サイモン・スターリング版「烏帽子折」には他にもジェームズ・ボンドやカーネル・サンダースやエンリコ・フェルミなど、実在・虚構を含め、それぞれのバックボーンに応じた役どころとして配役されていく。結果として牛若丸の物語は原爆開発を巡る寓話として組み替えられてしまう。
語られている物語はあくまでも「烏帽子折」なのだが、その配役に持たせられた意味が物語の象徴するものを塗り替えてしまう。アーティストの立ち位置は明確で、原爆開発に関わる実在の人物はいずれも悪役にまわされている。
この再構築された物語は、役に配置された人物がそれぞれにもつ物語によって重層的な構造を持つ。もともとは牛若丸のイニシエーションを描いた物語は、その表面的なシノプシスはそのままに広島市現代美術館に収蔵されている平和の象徴としての「アトム・ピース」に生まれ変わった物語として換骨脱体されてしまう。そしてまた、ビデオの中で語られるのはあくまでも「烏帽子折」やそれぞれのキャラクターが持つ実際のエピソードのみで、「アトム・ピース」が平和の象徴として生まれ変わった物語としては語られていない点が面白い。最初は「烏帽子折」という能の演目が主であったのが、終る頃には鑑賞者の中で意味が変わっていってしまう。そうした体験は初めてだった。
このサイモン・スターリングの作品を意識してか、同時開催のコレクション展では、その最後に配置されたのが「我らが狂気を生き延びる道を教えよ(ヒロシマのために)」という重い作品。時期的にフクシマを連想せずにはいられなかったのだけど、少なくともフクシマは狂気ではない。もしかしたら愚かだったかもしれないけれど、狂気ではないことに希望がある。そんなことを感じました。