■新春の原美術館はミヒャエル・ボレマンス。ベルギーの美術家で、ドローイング、それも肖像画が多いようなのだけど、フライヤーのビジュアルを観た限りではストレートな肖像画ではない様子。ビジュアルに使われている作品は〈仮面〉。半透明の仮面をつけた女性の肖像。しかし、仮面をつけている以上、それはある人物の肖像画となるはずがなく、仮面をつけた人物の姿であり、半ば自動的にユングの言う「ペルソナ」を連想してしまう。
描かれているのは表層的な人物画ではなく、人の内面、ではないか。そんな印象を持って御殿山へ。
描くのは人物だけではなく、〈木蓮〉のような静物画もありましたが、人物画にしろ静物画にしろ、絵から感じる存在感が強く、見入ってしまう。ただ、その〈木蓮〉にしても単なる静物画ではなさそうで、生けられている花器が半ば透けているようで、背景の壁が見えている。単なる静物画が二重写しの光景になるはずはない。描かれているのはオブジェクトとしても木蓮ではなく、気配としての木蓮、なのかもしれない。見えているものそのものを描くのではなく、見えているものの背後にある見えないものを露わにしようとしているようにも感じます。
作品は人物像が多いのですが、表現はやはりストレートなものは少なく、描かれている状況はどこか非現実的です。シュールな雰囲気が漂うものが多く、何かを象徴しているように感じます。たとえば〈begger〉は顔をジャケットのフードで隠し、両の掌を上に向けているのですが、その手は赤く塗られています。「赤」はボレマンスの絵画の中でキーカラーとして使われているようで、いくつかの作品で意図的に「赤」が強調されていることが解る。「赤」のほかには「緑」も使われていることに気付く。ただ、その色が象徴するものについては明確には読み取れない。ただ、ボレマンスの世界の中でその色には何等かの意味が象徴されているように感じる。
謎めいた作品が多い中で、フライヤービジュアルに使われていた〈仮面〉は比較的解りやすい作品だと思う。その解釈の一つとして素顔を隠す社会的な仮面──ペルソナを描いている、という解釈は十分あり得るだろう。
ボレマンスが描こうとしているのは、物質的な存在としての人間ではなく、人がみなもっている内面を、描かれるシンボルに象徴させることによって表現することではないか。それはフライヤービジュアルを観て感じた印象そのままですが、その印象を再確認して美術館を後にしました。