■東京都庭園美術館は一昨年から改装工事でクローズ状態だったのですが、今秋、その改装も終わり再び公開されました。ただ、庭園はまだ整備中とのことで未公開のまま。本館については改装のほかに杉本博司氏をアドバイザーに迎え別館としてギャラリーが新設されました。リニューアルした庭園美術館の最初の展示は現代美術で、「内藤礼 信の感情」。内藤礼ときたら行かないわけにはいきません。
展示された作品は大きく、'Color of Beginning' と 'Human'。別館のギャラリーにかかる'Color of Beginning'(始まりの色)は生まれてくる人が初めて観る光の色で、オフホワイトのグラデーションが描かれる。資生堂ギャラリーで一点観ていますが、今回はそれが10点ほど。ギャラリーは広く、そのフロアの中央から少し離れたところに、なんの囲みもなく'Human'が1セット配置されていました。うっかりすると蹴飛ばしてしまいそうな配置です。
'Human'は鏡に向き合う小さな人型で、本館の鏡がある箇所にはたいてい配置されていました。人型が室内ではなく、鏡に向かっているのが特徴でしょうか(例外は屋外に配置されていた一点)。屋内に向いていると、その視線は観客に向かうわけだけど、鏡に向かっているので視線は観客と交わらず、何かに相対している姿を観客は観ることになる。
その相対している何かは、鏡に映っている人型自身も含まれるだろうし、鏡に映っている世界全体であるかもしれない。人型の立ち姿に揺るぎはなく、世界に確固として対峙しているようにも見える。その一方で、小さい人型の姿に、かつて実際に住居として使われていた建物の過去を透かし見るようにも感じます。今は建物自体が文化財として、一種のオブジェとなってしまい生活感は失われていますが、その小さな人型が置かれることで、かつて人が暮らしていた時の空気が感じられるようでした。
内藤礼の作品に初めて接したのは2008年の横浜トリエンナーレに出展されていた「母型」で、電熱器により作られた上昇気流をうけてたゆとう糸でした。豊島美術館、神奈川県立近代美術館の「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」も観ています。「地上はどんなところだったか」や「恩寵」といった作品のタイトルから、この世界に存在することについての認識のはかなさを感じていたのですが、今年に入って初めて資生堂ギャラリーで'Color of beginning'を観たあたりから、はかなさのようなものはなくなり、かわって生きていくことに背中を押すような、はげましを与えるような目線が感じられるようになりました。
今回の「信の感情」も同じで、「恩寵」のようにこの世界にひっそりと侵入してくるようなものではなく、世界と対峙する力強さを感じます。