■久しぶりの水戸。泉町バス停付近の老朽化した建物は少しづつ改装が進んでいるらしいけれど、大通りに面したビルに目立つ空きテナントは相変わらず。
水戸芸にきたのは「拡張するファッション」展が目的。最初はよくある服飾デザイン展かと思ったのですが、そうではなく布もの展示らしいことが伝わって来たので見に行くことにしました。服飾系の展示はもともとファッションに興味がないこともあっていまひとつ解らないままなのですが、服飾から離れて表現手段としての布ものなら多少は解るような感覚を少しは持てます。
「拡張するファッション」といいつつも、ファッションというよりは服に仮託された「個人の物語」というテーマを軸にしていると思います。ミランダ・ジュライの服と「特別の日」や古着と思い出を結び付けた展示は、塩田千春の「大陸を超えて」を彷彿とさせます。展示されているものはいわゆる古着となりますが、誰も袖を通したことのない服と違い、古着は前の持ち主について想像せざるをえません。服は皮膚感覚に近いオブジェクトだからでしょう。
その意味で面白かったのは「ファッションの図書館」でした。古着とその服にまつわる思い出を併せて展示しているだけですが、服が「思い出」の主を生々しく想起させます。塩田千春の「大陸を超えて」は靴を使い、人々の歩みを連想させましたが、服の場合は人の佇まいを感じさせます。シンプルな展示でしたが、面白い作品でした。
他には小金沢健人のBLESSがキラキラしていて「ファッション」らしい作品。神田恵介×浅田政志の「卒業写真の宿題」が「制服」そのものの在り方を思わせて面白かった。被写体は高校生らしく、彼らが自分だけのでたらめな制服を着てくるのですが、その「制服」が単体で観て制服と分かるものと、かなりカジュアルな感じがするものに分かれていました。カジュアルな服装に見えても、当人にしてみれば「制服」として認識しているということは、カジュアルな服と制服は分離したものではなく、連続したスペクトル上にあることを示唆しています。もっとも、「ファッションセクト」という言葉は昔からあったので、その知見は目新しいものではないのですが。