ストリーム・スニーカー
08. Cold Front

 冬至までまだしばらくあったが、日が短くなっていることを誰もが感じていた。黄昏時の昼でも夜でもない曖昧な空が横浜にかぶさっていた。東の地平線には明るい星が瞬き始めていたが、西の地平線では一日の残光が茜色に雲の底を照らしていた。
 短くなっていく昼の光を食い潰すかのように、YSP――横浜特別行政区の街は夜の光を放ち始めていた。その光を浴びたエアロゾルは薄く白くハーローとなり、いずれ街を覆うだろう。ハーローに包まれた街から、もう星は見えない。

 影を失った街の上空をヘリが飛んでいた。ローターの代わりに滑らかな形状を持つテイルダクトを有し、ヘリ特有の脈動音は聞こえない。静かに、滑るようにヘリは本牧の上空に入った。機体にはYSP/GPの徽章とID。乗員は2名。パイロット1名と、情報戦オペレーター1名。
 本牧上空に入ったことをパイロットが知らせると、オペレーターは機体の左右に吊るされたセンサポッドを作動させる。複合センサだった。二つある赤外線カメラはオペレーターに視聴覚インターフェースを介して、高空からの立体視を与えていた。それと同時に、当然その映像は記録されている。
 オペレーターの合成された視覚には、対レーダーセンサの情報が統合されている。そして聴覚には、パイロットからの音声とは別に、傍受した無線通信のシグナルが流れ込んでいる。
「NTNビル上空、接近」
 視聴覚インターフェースを持たないパイロットが、バブルキャノピー越しに見下ろして報告した。それと同時に、パイロットはヘリのナビゲーションシステムが示すロケーションがおおむね合っていることを確認している。
「サイトに確認」オペレーターが答える。赤外線の視覚の中で、モノクロの街は明るく輝いていた。「高度そのまま。ゆっくりと」
 オペレーターの耳にノイズが聞こえてきた。NTNビルから漏れる電磁波のさえずりだった。NTNビルがEMI(電磁衝撃)対策として電磁シールドを施しているのは周知の事実であったから、そのビルから漏れている電磁波は非公式に行われている無線通信以外にはありえなかった。その広帯域にわたる電磁波の有色ノイズは独自の変調を施されYSP/IPに送信されていた。
 オペレーターはその電波が指向性を持つことを確認していた。拾い上げている電波はそのサイドロープだった。強度が異なる複数の信号があることも検出できており、それは無線による双方向通信が行われていることを推測するのに充分だった。
 ヘリはゆっくりとNTNビルの上空を通りすぎようとしていた。
「確認できたのか?」
 パイロットが訊く。オペレーターがそれに答えようとした時、ノイズの囁きが途絶えた。サイドロープから外れたわけではなかった。電磁封鎖を行ったのだ。
「確認した。北西方向だ」
 オペレーターは短く答えると、〈バグ〉と呼ばれる受動電磁探査センサを屋上に散布した。パイロットは無線と簡潔なやりとりを交わした。ヘリはそのままビル上空を通りすぎる。

 マットブラック一色に塗りつぶされたヘリが夜空を背負って飛んでいた。地上でその飛行音は全く聞こえなかった。水素ガスタービンエンジンの排気はセラミックパネルのトラップを通ることで拡散されていた。マットブラックの塗料は電波吸収素材を含んでおり、レーダー波反射率は同型の機体と比べ極端に低かった。航行灯すら消しており、その存在を探知することは難しかった。
 黒塗りのヘリは三ッ沢上空を通過した。その2キロ前方をNTNの営業用ヘリが先行していた。熱・光学的な偽装は施されていない。黒塗りのヘリは先行するヘリとレーザーによる通信リンクを保持しており、必要な指示は先行するヘリを経由して得ていた。
 2機のヘリは東南方向にコースを取っていた。前方にはヨコハマコンプレックスビルからイセザキスーパーモールへ続く商業地帯の灯が広がっている。その明かりは濃くなる夜空を打ち消すように強くなっていく。
 黒塗りのヘリにはパイロットとオペレーターが乗っていた。この機体はNTNの非正規保安活動用として導入された市街制圧ヘリを転用したもので、本来銃器が備わっているはずの個所には変わりに光学・電子偵察用のセンサポッドが取り付けられていた。
 先行するヘリからレーザーリンクを通して通信が入る。
『YSP管制空域侵入』
 視聴覚インターフェースを持つオペレーターには戸塚の外れにあるレーダーサイトがサーチライトのように見えていた。それはつい半世紀前まで米軍が通信施設として利用していた場所だった。米軍が北米大陸へ収縮していく過程でその施設は放棄され、それをYSPが引き取ったのだ。
 オペレーターの耳には先行している営業用ヘリ――実際には囮であり、ガイド機なのだが――がYSP空域管制局と交わすSHFデータリンクの漏れたシグナルが聴こえている。それは音声ではなく、航法コンピューターと管制コンピューターとの間で交わされるデジタル通信の有色ノイズだった。
『YSP管制よりコース変更の指示』
 それは間もなくYSP/GPによる針路妨害に備えろという意味の警告だった。
「山谷上空まで3分」
 パイロットの報告を合図にオペレーターは電磁情報収集ポッドを作動させた。ポッドはYSP/GPの戦術データリンクに使われる全帯域をサンプリングする。同時に光学レコーダーも動作を始め、赤外線域の視界で地表面を記録する。
 針路変更は行われず、2機のヘリは直進を続ける。
 オペレーターは針路方向左手、海際のビル群の間から2つの熱源が上昇するのを確認する。それと同時にレーダー波が照射されたことを知らせるアラームが鳴る。
「〈駒鳥〉2機確認。レーダー波検知」
『〈P・フィッシュ〉より〈ゴースト〉へ。増速する』
 先行するガイド機が速度を上げる。イセザキスーパーモールは目の前まで迫っていた。十数秒で上空を通過するだろう。
 オペレーターは接近する熱源を見た。排気流が細くたなびいて冷たい闇に消えている。
「〈ゴースト〉より〈P・フィッシュ〉、〈駒鳥〉接触まで2分」
『〈P・フィッシュ〉了解。転回する』
 先行するヘリは2機のYSP/GPヘリに押されるように西へと針路を転じた。しかし、黒塗りのヘリはそのまま直進する。
 スーパーモールの光の海を飛び越える。そこはやはり半世紀前まで米軍が接収していた土地だった。今はYSPが管理し、公共用地となっている。そこは山野と呼ばれ、YSP総合福祉病院の敷地が広がっている。
 黒塗りのヘリは音も無くその上空を通りすぎた。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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