LLGW社の〈会議室〉と称する部屋は最上階にあった。入口で靴を脱がされて中に入ると、もったいつけた長テーブルも椅子もそこには見当たらなかった。床は全面毛足の長いカーペットで覆われていたがあちらこちらに四角いでっぱりがある。触ってみると幾分柔らかく、腰をかけるものではなさそうだった。
松浦を見ると、床に腰を下ろし、でっぱりによりかかっている。
――道理で靴を脱がさせられたわけだ。
榊も松浦を見習い床に座った。
「今、ファイルサーバーを呼びますから」
松浦が床を軽く叩くと小さな操作卓がポップアップした。榊は微苦笑を浮かべた。部屋の床中にああしたギミックが散らばっているに違いない。
ほどなくして車輪を持ったロボットがゆるゆると入ってきた。アームの先にファイルを載せている。ずいぶん時代がかったデザインのロボットで、業務上の必要性から設計されたものではなく、商品のデモンストレーション用という雰囲気があった。
榊がファイルを受け取ると、ファイルサーバーはそそくさと帰っていった。
「もうじきカサハラさんがお付きになると思いますので、その間に資料に目を通しておいて下さい」
榊は言われるままファイルに目を落とした。それは先ほどまで榊が入っていたゲーム、〈フォートレスダウン〉のプレス資料だった。
――〈フォートレスダウン〉は最新のホリゾンタルディストリビューショ ンネットワークアーキテクチャ(HDNA)を採用したこれまでになくインタラクティブなグループゲームウェアです。ゲームシステムは〈プロモーター〉と呼ばれるベースシナリオジェネレーターと〈ディレクター〉と呼ばれるシナリオ調整部分、そしてFXと呼ばれるディスプレイ部分から構成されます。ゲーム全体のシナリオはプロモーターとディレクターによって大筋が誘導されますが、実際にはゲームプレイヤー自身がディレクターに影響を与え、シナリオはプレイする度に変化が加わることになります。これはパラレルなシナリオを多数用意し、状況に合わせて随時切り替えていくものとは異なります。プレイヤーはゲーム世界を現実のものとして対応することが求められます。ベストの戦術を見出すことは可能でしょう。しかし、ゲーム全体を攻略するフォーミュラは存在しません――
榊は松浦を見た。
「済みません。先ほども申しましたように、この度の依頼は上の方から来たものですから、うちの方で適切な資料は用意できないのです」
榊は軽く頷く程度のとどめた。今は何を言っても皮肉になりそうだった。
「〈フォートレスダウン〉はうちの主力商品です」間をもたせるように松浦は話した。「本当は先ほどのように一人だけで実行させるものではなくて、大人数が同時に参加するものなんです」
榊はプレス資料の先を流して読んだ。
「水平分散型ネットワークゲーム? しかし、これなら子供の頃から」
「まぁ、それはプレス資料なのでそうした表現になっていますが、実際にはホロネットワークなんです」
「ホロン? しかし、実際には‥‥」
松浦は構わず続けた。
「プレス資料にもありますが、〈フォートレスダウン〉の特徴はプレイヤーのアクションによってシナリオが変化することです。創り出すと言っても言い過ぎじゃありません」
「なんだかピンときませんね」
「つまり‥‥ゲームシステムが提供するのはある〈状況〉だけであって、後はプレイヤーの行動に反応する、つまり一種のシミュレーションシステムなんですよ」
「それと、ホロンとの関係は」
松浦は儀礼的な笑みを浮かべた。
「参加するプレイヤーそれぞれの行動が、他のプレイヤーに波及し、影響し合い、ゲーム世界そのものにフィードバックする。プレイヤーそれぞれが操作するユニットをノードと呼びますが、このノード数に上限はありません。原理的に、という意味ですが。参加したノードを統括するスーパーバイザノードはありません。階層構造ではなく、全くフラットなネットワークを構成するんです」
榊はしばらく考えてから、なんとか受け答えらしきものができた。
「ノード数に上限が無いというのは、原理的という意味ですね。実際には帯域の制限がある」
「それと、レスポンスの問題が」松浦が頷きながら微笑んだ。「そうなんです。通信インフラの問題は常についてまわります。しかし、クローズドな専用ネットワークであれば横浜-神戸間であっても問題になりません。パブリックなラインだとかなりキツイですが」
「それと、例えば30ノードで構成されている場合、30ノード全てが埋まるようにしないと、採算が難しくなるのではないですか。これはゲームそのものというより経営的な話ですが」
「いえ。そこがホロネットワークの利点です。30ノードが同時にスタートする必要はないのです。5ノード、10ノードと、あるスパンで同期が取れるノードがあれば、それだけで自動的にクラスタリングするんです。もちろん、大型ファンサイトでは32ノードフル同期といった形で運用しているところもありますが。また、同時にクラスタリングしたグループが複数発生すると、そのグループだけでさらにクラスタリングします」
「同時にクラスタが複数発生するというのは変なんじゃないですか」
「いえ。レスポンスの関係で、そうしたことが起こりうるんです」
なるほど、と榊はつぶやいた。たかがゲームとは思ったが、その仕掛に感心しないわけにはいかなかった。
「自己組織化するゲームですか」
「大袈裟に言えばそういうことですね」
松浦は見るからに得意気だった。
「ああ、カサハラさんがお見えになられたようです」
松浦が視線を移し、榊もそれにつられた。
会議室の入口に若い男が立っていた。スーツを着込こんでいるが、童顔で子供のように見える。〈生え抜き〉ということだから、実際まだ子供といっておかしくない年齢かもしれない。
カサハラは今まで会ってきた〈生え抜き〉と同じように、ある雰囲気を纏っていた。落ち着いた雰囲気、といえば聞こえはいいが、過剰に抑制されているような印象がある。
「お待たせして申し訳ありません」カサハラはにこやかに口を開いた。「MSP(幕張特別行政区)からの移動だったのですが、ヘリにトラブルがありまして」
その笑顔がどの程度まで本心のものなのか、榊は訝った。メイが初めて笑顔を見せた時のことを思い出す。
「いえ、それほどの時間ではありませんでしたよ。東京湾はどうでした」
「だいぶ水蒸気で霞んでいましたね。相変わらずでしたよ。水没したビル街も」
榊はぎくりとした。カサハラの顔をうかがうが、特に榊に向けたものではないように見えた。彼は松浦を見て話しており、榊に目線を向けることはなかった。
「失礼ですが、そちらが榊さんですね」榊の視線を捉えるようにカサハラが顔を向けた。「お噂はかねがね」
「どういった噂ですか」榊は苦笑を浮かべてみせた。「いい評判だと良いのですが」
「優秀なリサーチャーだとか」カサハラの微笑は揺るがなかった。「今回の仕事では期待しておりますよ」
「そのことなのですが‥‥」榊は松浦に目をやった。松浦はひとごとのように会話の成り行きを聞いていた。「どのような調査をすれば良いのですか。カサハラさんから伺えると聞いておりますが」
「市場調査です。ただし、〈フォールストラット〉が市場に出回ってからのユーザーの嗜好偏向をサンプリングしていただきたい」
「この分野での調査はあまり経験が無いのですが‥‥具体的には」
「〈フォールストラット〉は久々のヒット作でして、20年程昔にヒットした〈ファイティング・エッジ〉以来のブレイクスルーからもしれません」
20年とはずいぶん長い。榊はそう思ったが、一時はリテラシー・ルネサンスに押され斜陽産業のレッテルを貼られたことを思えばそれほど長い時期ではなかった。
「一般ユーザーは〈フォールストラット〉のゲームシステムが持つポテンシャルに気がつき始めています。ホロネットワークによるダイナミック・シチュエーション・ジェネレーターとは、極端な言い方をすれば現実世界そのもののメカニズムと呼んでも差し支えない」
話がおかしな具合になってきた。榊は説明の着地点がどこになるのか不安になった。
「簡単な話です」カサハラはあっさりと言う。「こうして我々は会合を持ち、互いに影響を与え合う。この単純な事実を管理する上位層のノードは存在しません。もちろんわたしには上司がおりますが、ここで言う上位層とは、社会的な意味ではありません。御分かりのことと思いますが」
「まぁ、だいたいは」
「我々はこのゲームシステムが完成した時から、その可能性に気がついておりました。このシステムは二重の意味で〈ユニバーサル〉なシステム、つまり〈汎用〉であると同時に〈世界〉そのものでもあるわけです。一般ユーザーも次第にそのことに気がついています。そして、このシステムを使ってどのようなゲームを期待しているのか、それを調査してもらいたいのです」
カサハラはちらりと松浦を見やった。
「〈フォールストラット〉の人気に疑問を抱いているわけではありません。このシステムが飽きられる前に次の作品を市場に出す必要があると、私どもは考えているのです」
なるほど、と榊は頷いた。
「それならわたしの手に負えそうですね。ゲームの改良点を洗い出させられるのではないかと思いましたよ」
松浦が破顔した。
「それで、調査に必要な拠点はわたしの事務所で構わないのですか」
「いえ、場所はライフ・ライブさんに用意していただき、器材についてはうちが貸与します。それで構いませんか」
「構いません」
それでは、とカサハラは手を差し出してきた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
榊は差し出された手を握った。カサハラの手は冷たく、そして乾いていた。