ストリーム・スニーカー
07. Stoking

 薄皮を剥ぐようにセキュリティを無力化していく。完璧なセキュリティなど存在しない、と明は言ったことがある。もし完璧なセキュリティというものがあったとすれば、それに保護されたシステムには誰一人として触れることができないだろう。
 アクセスする手段――アクセス・パスが存在する限り、必ずセキュリティは突破される。そして、アクセス・パスを完全に断ち切ったシステムに存在理由はない。故に、全てのシステムはいずれ侵入される。
 要は侵入に要するコスト――主に時間――が侵入の結果に見合わないものであれば構わないのだ。そしてシステムへの侵入を図る者は、そのコストをどれだけ切り詰められるかに知恵をしぼる。
 〈ピンホール・スキャン〉がまた一歩前進した。堅牢なシステムに楔を打ち込み、足場を確保していく。ただし、サイト側のプロセッサを利用して何らかのプログラムを常時走らせるようなことはしない。僅かなプロセッサ時間だけを拝借し、水滴が石に穴を穿つようにアクセス経路を発見していく。
 水口は〈ピンホール・スキャン〉の動作ログを確認した。すでに4つのサイトを突破していた。いずれのサイトもセキュリティの強度はまずまずといったところだった。異なる製品を用いた2段、3段構えのファイヤーウォールを備え、最前縁のセキュリティが突破されても、それと同じ手段を用いて後衛のファイヤーウォールが破られないようにしていた。もし本格的にそのサイトへ侵入するのであれば、気が遠くなるような忍耐を必要としただろう。しかし、水口の目的は他にある。そのサイトと外部とのアクセスログを前衛のファイヤーウォールサーバーから探り出し、追跡相手の侵入の痕跡を探る。そうやって、次々とサイトからサイトへと渡り歩いてきていた。
 現在〈ピンホール・セキュリティ〉はセキュリティホールを探していた。水口は空いているパッドを使って、侵入しようとしているサイトの現実世界での名称を検索した。それは昔からある〈公共的な〉サービスであって、別段特殊な技術ではなかった。
 検索結果が帰る。水口は眉をひそめた。そこはYSP総合福祉病院の電算部門だった。さすがに背筋に寒いものが走った。YSP住人のプライバシーを管理する病院だけに、そのセキュリティーも警備の即応体制も厳しいことで知られている。NTNと似たり寄ったりだろう。
 侵入しかけてから気がつく自分の迂闊さにひやりとせずにはいられなかったが、同時に、そのサイトを一種の〈ブリッジ〉として利用している侵入者の神経に何か危ういものを覚えた。病院のサイトに侵入した技術力に酔っている、榊が良く言う「はねっかえり」なのではないかと水口は思った。もちろんその技術力は大したものなのだが、その使い方を知らないのであれば自分の身を滅ぼしかねない。

『‥‥総合福祉病院か。それはやっかいだな』
 通信回線の向こうでキム部長がつぶやいた。しかし、表情は石のようで、何を考えているのか見当もつかなかった。
「追跡作業を継続しますか? まだ病院の内部には入り込んでいませんが」
『向こうは気がついていないんだな』
「病院のセキュリティですか? まだそちらにまでトレースしていませんが」
『いや、そちらにまで手を広げなくて構わない』
 向こうの照明の加減か、キム部長の顔が暗がりに隠れた。
『‥‥継続してもらいたい』
 水口は聞き返していた。
『侵入者の追跡作業を継続してもらいたい。その途中、どのようなサイトを通ろうとも。そのために君を雇ったのだからな。我々の期待に応えてもらいたい』
「しかし‥‥」
『しかしも何もない。それが我々の期待するところだ』
 明かりの中にキム部長の顔が表れた。顔中に穏やかな笑みをただよわしている。はめられた、と水口は思った。やはりY・BayS社はわたしを切り捨てるつもりでいる。
「YSP総合福祉病院となると、わたしの技術では太刀打ちできない可能性が高いと思われますが」
『その場合はやむを得ない。残念ながらフリーランスデータベースの方に契約不履行のクレームを送らなければならないだろうね。そして、契約の条項に従って、違約金を支払っていただかねばならない』
 顔がこわばるのを水口は感じた。声が硬くなる。自分が崖っ淵に立たされていることが解った。
「‥‥解りました。何とか手を尽くしてみます」
 そう答えるのがやっとだった。選択の余地は無いように思えた。
 キム部長の表情は変わらない。
『成果を期待しているよ』
 回線が切れた。水口はこれほど榊のサポートが欲しいと思ったことは無かった。考えられる選択肢はそう多くはなかった。1つはこのまま作業を続行し、病院のプロテクトを突破すること。ただし、無傷でプロテクトを突破できたツールはまだ無い。1つは侵入者の出所を偽装すること。ただし、これは別ルートで裏付け調査をすればすぐに発覚する。残る1つは榊に支援を頼むこと。ただし、榊は別の依頼にアサインされているし、Y・BayS社は回線をモニタしているだろう。外部との通信は秘密漏洩と見なされ、重大な契約違反を問われる。
 総合福祉病院への侵入を無難にこなして追跡を続行するしかない。
 水口はデータプロセッサのディスプレイを見つめた。Y・BayS社のやり口に腹が立ったが、その契約は他の誰でもない、自分自身の責任の下に結んだものだ。
 しかし、今日はもうこれ以上仕事を続ける気にはなれなかった。水口は席をたった。疲れている時に仕事を続けても効率が悪くなるだけ、というのが榊の主義だったし、それに反対する理由もなかった。
 水口はデータプロセッサの電源を切ろうとした時、自分宛てのメッセージが届いていることに気がついた。発信人はキム部長ぐらいしか思い付かなかった。他にメールを送れる人はいなかった。仮に榊が水口の居所をつきとめたとしても、外部からのメッセージはY・BaySのゲートウェイではねられるだろう。
 水口はメッセージを開いた。そのテキストメッセージを目にした時、水口は血の気が引くのを感じた。
 ――あなたは誰ですか?
 差出人は不明だったが、キム部長でないことだけは確かだった。おそらく水口が追跡している侵入者からだろうという確信めいたものがあった。
 Y・BayS社の社内システムは完全に丸裸にされているわけね。水口は微笑んだ。Y・BayS社のセキュリティをコケにしたようなやり方が小気味良く思えた。
 水口はそのメッセージに返信しようとしたが、思いとどまった。仕事は仕事なのだ。
 実に残念なことではあるのだけれども。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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