ストリーム・スニーカー
11. Contact

 〈イフリートβ〉がプロテクトセクションを突破する。前衛のファイアーウォールは無力化され、単なるルーターになりさがる。アドレスマッパーが外部に露出し、ネットワークギャップが消滅する。前衛のファイアーウォールが解体された段階で、後衛のファイアーウォールは存在しないも同然だった。アクセスログは書き換えられ、システムログからは特定のレコードが消去された。認証コードは復号され、サービスポートは暴かれ、不可視ファイルの存在が特定された。
 水口は〈イフリートβ〉が為し得た結果に陶然としていた。〈イフリートβ〉もまた、原型は積極的にセキュリティホールを探し出す保安ユーティリティだったが、こうしたソフトウェアの常として違法にシステムへ侵入するツールとして改造が加えられてしまっていた。〈β〉はベータリリースを意味していたが、これは名も知られない作成者の洒落だった。完成されたセキュリティが存在しない以上、セキュリティブレーカーにファイナルリリースは有り得ない。
 今回の侵入も、水口がこれまでのアタックの結果から〈イフリートβ〉に独自のパラメーターを設定した成果だった。水口は誰に教わることもなく、自分でパラメーターの組み合わせを発見したのだった。
 水口の目の前で総合福祉病院のネットワーク構成が明らかになっていった。それは〈イフリートβ〉が放った自己増殖エージェントの探索結果だった。基幹ラインを背骨として中心に挟み、二つのネットワークレイヤーが広がる。その二つのネットワークを構成するノードのうち、幾つかはローカルなネットワークをぶらさげている。それらローカルなネットワークのうち、さらに幾つかは独自のラインで相互接続を行っていた。自己増殖エージェントが描き出すネットワーク構成図は人間の神経組織というよりも、むしろ血管網に似ていた。血液の代わりにデータセルが流れるシステムの血管網。
 二つあるネットワークのうち、一つはほぼノードの全体が見えていた。しかし、もう一つの方はエージェントの増殖タイミングが遅れているのか、網の中央が大きく欠落し、穴が開いているように見えていた。
 水口はディスプレイに描き出されるネットワーク構成図をしばらく見とれていたが、やがて我に返ると侵入者のトレースを再開した。相手サイトへの侵入を果たすのが目的ではなく、Y・BaySへの侵入者を特定するのが目的なのだ。
 水口はファイアーウォールに残されたアドレスマッパーの動作ログを探った。アドレスマッパーは内部ネットワークと外部ネットワークの間でアドレス変換を行い、ネットワークギャップを作り出すことが目的だった。セキュリティが有効な間はアドレスマッパーが外部から内部、内部から外部へのアクセスについて、それぞれ認証されたものに対して適切なアドレス変換を行う。古典的な手法だが、未だに有効な手法でもあった。
 水口はそのログの中に、侵入者が行ったアクセスの痕跡を探し出そうとしていた。どこかに痕跡が残っているはずだった。
 メッセージが到着した。
『入り込みましたね』
 全身が粟立った。
 ファイアーウォールの動作ログを確認する。膨大な量のデータセルが流れていた。先ほど確認した時と2桁違う。データセルに指定されたアドレスはまちまちで、すぐに確認することは難しかった。
『使用したツールはおそらく〈イフリート〉から派生したもの。言うまでもなく違法ソフト』
 おかしい。水口は焦る。データセルの流れが乱雑すぎた。伝送先のアドレスがでたらめのように切り替わり、どれが水口とのアクセスを成立させているのか特定できない。
『こちらが使用しているアクセスラインを特定しようとしていますね。ところであなたは誰ですか』
 水口はY・BayS側のメッセージングサーバーをあたった。動作ログから相手側の使用端末を特定する。ログに残った相手端末のハードウェアIDをキーにしてアドレスを参照しアクセス。その端末にアクセスしているラインを調べる。1つは水口が使用しているもの。そして‥‥他に12のラインがY・BayS社内からアクセスしていた。しかも、それら12全てのラインが10秒以内の間隔で切り替わっている。ユーザー名も刻々と変化している。それが意味することは、社内の殆どの人間が単位時間当たり平均で12になるように短いアクセスを繰り返しているということだった。
 もちろん、そんなことは有り得ない。
『自分に一番近いところから逆探知を始めるというのは基本ですね。しかし、あなたはアクセススクランブラを突破できないでしょう』
 その通りだった。
 一体どうやっているのか水口には想像もつかなかった。データセルの伝送方式――XATMという仕掛がこれと似たようなことを行っているが、端末のアクセス制御を行うことはできない。端末へのアクセスや、メッセージング操作はXATMとは別のプロトコルレイヤーに属する事柄だ。
『あなたは誰ですか』
 水口は観念した。
「Y・BayS社に雇われたデータリサーチャーよ」
 その言葉を端末が拾い上げ、文字に置き換えていく。
『〈イフリート〉はY・BayS社からの提供ですか』
「答える必要はないと思うけど」
 水口はほくそえんだ。〈イフリートβ〉は所有する記憶媒体に記録されているだけでTYISPやYSP/IPの取締り対象となる。そこで、〈イフリートβ〉は複数のファイルに分散して隠されていた。人畜無蓋なメモ機能アプリケーションにパッチをあてていくことで最終的に〈イフリートβ〉は生成される。
「ところで、あなたは誰なの。違法侵入していることは知っているわよね」
『あなたこそYSPの公的施設のプロテクトを破壊したではないですか。あなたの行為はYSPに対する無差別テロ行為と見なされます』
「大きなお世話よ。第一、プロテクトを破壊したりはしていないわ。それより、あなたの名前はなんていうの。人に名を訊く時は、まず自分から名乗るものでしょう」
『〈イフリート〉が侵入した時のセルが盗聴されていた場合、もはやプロテクションは有効ではありません。その意味であなたはプロテクトを破壊したのです。YSP/IPは見逃さないでしょう』
 水口はうんざりしてきた。説教されるいわれはなかった。
「ご忠告ありがと。で、あなたの名前は」
『オムニュビーク』
 水口はその名前をどこかで聞いた覚えがあったが、それを思い出すことができなかった。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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