ストリーム・スニーカー
10. Internal Voice II

 彼の声からは軽い怒りの感情を拾い上げることができた。どれだけ抑制を効かせたつもりでも、訓練を受けていない「素人」ではおのずと限界がある。
 わたしの中で電話が鳴った。
『彼は協力してくれるだろうか』
 〈ヒライ〉のペルソナだった。「他者」との接点に電話のメタファを持ち込んだのは良いアイディアだった。少なくとも彼らとはまだ彼我を分かつ必要があるからだ。さもなければ〈わたし〉は内部矛盾を抱え込み、混乱の中に拡散してしまっただろう。
「まだ何とも言えない」
『もう少し詳しく説明してくれないか』
 榊が言った。
「何についてかしら」
 YSP/IPがNTN本牧支社社屋から放射された指向性の強い電磁放射を検出していた。YSP/IPのデータ処理担当モジュールはその電磁放射の時間軸に沿った位相変動に有意な相関を認める。
『あなたが誰なのか、今は聞かないでおくよ』彼の応答はじれったいほどのんびりとしている。『聞きたいのは、なぜこんなまわりくどいやりかたで接触してきたかってことだ』
『いいかな』緑陽が〈カサハラ〉のペルソナで割り込んできた。『うちの保安部局がおたくと公式/非公開ステータスで折衝を持つことを決めた』
「わたしはあなたがネットワークに隠しているものを知っているわ」
 呼吸が乱れる。榊が動揺しているのが解る。YSP/IPはNTNとYSPの低空飛行禁止空域へ侵入コースを取っていたNTNのヘリとの間で秘匿通信を企てたことを断定した。問題のヘリは飛行禁止空域への直進コースを逸れて西進。
『うちの保安部局が〈今〉の報告で神経質になっている』
 〈ヒライ〉が言った。
『〈報告〉とはずいぶん古風だね』
 〈カサハラ〉が笑った。
『何を知っている』
 榊が訊いた。TYISPとYSP/GPがそれと知らず記録していた情報から再構成され、浮かび上がってきた榊の行動記録が流れる。その前日に不審なほど集中しているNTNの影がかかる死体の発生数。榊のSILである水口とNTNとの因縁。非合法ネットワークコミュニティに対するNTNの締め付けが緩くなったこと。そして、噂。〈わたし〉の意識領域をそれらのデータが奔流となって過ぎ去っていく。その一方で、紫水の保安部が緑陽の保安部局と偽装データ送信で接触を取っていることを意識している。動画像・音声データに目的とするデジタルデータを非時間依存的に分散させてしまう方式で、情報量は少ないものの、そこにデータ通信が埋め込まれていることはまず気がつかれない。
「あの夜のことを‥‥」
 わたしは話す。NTN保安チームがYSP警察組織をかすめるように活発な行動を起こした夜の話を。東京湾横断第一道路での速度超過から始まり、生麦での爆発事故、カーチェイス。ガスステーションの爆発事故と、首の無い焼死体。YSP交通管制局に対するNTNの侵入。
『山谷の地下ケーブルの仕掛がだいたい解明された』〈ヒライ〉が言う『セルスクープである可能性が高い。あのラインを流れたデータセルはすべて複製が取られていたことになる』
『俺に‥‥』榊が発語する。
『今更驚くことではないな』
「予想された事態ね。旧人連中の意識誘導を進めましょう」
『‥‥何をさせるつもりだ』
「協力して欲しいの。サカキ」
 わたしは他のペルソナとのセッションと榊との会話をパラレルで処理する。
『彼のパートナーの所在は』
『NTNにとりこまれているようだ。現在所在の確定作業が進行中』
「それは緑陽としての行動なの」
『管理部門は知らない』
『パートナーは何をしている。NTNから依頼を受けたのか』
『榊によればそういうことらしい』
 わたしの中に不安が生まれた。NTNとあの二人には因縁がつきまとっている。
「どういう依頼を受けたのか、それは解るの」
『不明。ただ〈病院〉からのアクセスを逆探知しようとしている』
「そういう情報は早く流してもらいたいわ」
『何をたくらんでいるんだ。メイ』
 榊が不安気に呼びかけてくる。
「わたしはメイでもメグミでもない‥‥。サカキ、あなたがNTNと交わした取り引きのことを話してもらえないかしら」
『何のことだ』
「NTNでなくとも情報収集活動はしているということ。〈わたし〉はあなたがNTNの弱みを握っていると考えている」
 視覚情報を得られないのが不満だった。他人のテリトリにあるのだからやむを得ないが、彼の表情が解れば話を滑らかに運べるだろう。息遣いだけでは情報収集にも限界がある。
『彼は本当に力になるのか』
 〈ヒライ〉が割り込んだ。
「そう推測している。彼らとNTNの間には奇妙な連携がある」
『そういう情報は早く流してもらいたいね』
 〈カサハラ〉が言う。
『それがどういう情報なのか、メイは知っているのか』
 榊は〈メイ〉という呼称を捨てなかった。しかし、いずれ、その呼び名が不適切だということを理解するだろう。
「可能性が幾つかあるけれど、情報不足で絞り込めてはいない」
『NTNに喧嘩を売るつもりなのか』
 わたしは黙殺した。
『‥‥このことを話して、こちらに不利益がないという保証はできるのか』
「契約書は出せないわ。でも、我々とNTNとの関係は単なる取引き関係であって、運命共同体とか、同盟関係とかいったものではないわ」
 実際にはより疎遠だ。契約を結んでいるのは会社組織でしかない。
「わたしを信じてもらえないかしら」
 榊は小さく笑った。
『生え抜きを信じろって? ‥‥騙されたとしていても、俺はそのことに気がつくこともできないんだ』
「わたしは本所であなたを信じていたわ」
『彼は引き込めたな』〈ヒライ〉が言った。『表情を読めない状況で、流石だな』
 わたしはそれには応えなかった。正直なところ不愉快だった。榊の答を待つ。
『そう言われると弱いな』榊は答えた。『‥‥すこし考える時間をもらえないか』
 私の脳裏に〈病院〉からのメッセージサブスクライブが浮かんだ。表面的な感情すら失い芯までざらついた触感のあるメッセージは、あえて認証を確認するまでもなく、我らが愛しき〈サトル〉のものだった。進行している没個性化の結果として、その個性が他と際立ってしまったのは皮肉なことだった。
「サカキ‥‥」わたしは〈サトル〉からのメッセージを意識領域に繰り返し流した。「時間なら今しばらくあるわ。でも、暇はなさそうね」
『どういう意味だ?』
 榊以外――〈カサハラ〉、〈ヒライ〉、そしてわたし――は意味を知っていた。まだしばらく余裕はある。しかし、のんびりしている暇はない。
『言葉通りよ。――サカキ』

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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