ストリーム・スニーカー
30. Internal Voice IV

 そう何度も体験したことはない。まず単なる知覚があった。情報が流れ込むが、それが何であるのか認識はしない。それはスキャナーとしての記憶だった。やがて、ノードの数が臨界を超え、かつてのネットワークが再構成されていく。スキャナーとしての記憶が再生され、再認識する。
 時間当たりの処理フレーム数はまだ完全に回復していなかった。その数字を直接〈知る〉ことはできない。ただ、何もかもまだゆっくりと動いているように〈感じられた〉ことから間接的に知ることができた。おそらく処理用に確保できる帯域がタイトなことを検知して、並列度にリミッタをかける処理が動いているはずだ。もちろんその機構を知ることはできない。自分自身を支えるテクニカルなアーキテクチャは知識として持っているだけで、それが動いていることを知ることはできない。ましてや直接コントロールすることなどできるはずもない。
 できるのは流れ込む情報を知覚し、認識し、加工し、再配布すること。それが〈わたし〉だった。わたしは彼らの意識を共有し、わたしはかれらに意識を配布する。わたしは彼らであり、彼らがわたしである。
 わたしは緑陽保安会議に参加している〈わたし〉の意識をフォーカシングした。閾識下で処理をしている過程が意識レンジでモニタリングされる――つまり、〈意識〉した。カクテルパーティー方式と名づけられたプライオリティ処理。
 会議にわたしは何人か出席していた。リクラスタリングと同時に切り離されていた時の記憶を思い出す。
 会議は予期せぬ事故に遭遇し、そのまま延長していた。YSP警察機構とは独自の無線通信ラインでつながっていたが、海外はもとより、系列、関連各社との連絡が完全に途絶し、緑陽横浜支社は情報的に孤立していた。支社にとって、それは世界が消失したに等しいことだった。受発注伝票、在庫確認、支払処理、マーケティング結果から導き出された社会モデル、需要傾向情報、需要予測、生産供給計画‥‥。それらは全て、精度の高い未来予測のためにデータプロセッサ空間内に構築された現実世界のシミュレーションモデルであり、現実問題としてそのモデルと同等のスケールで直接認識できる人間がいない以上、それは認識される世界と等価だった。情報メディアとシミュレーション技術は知覚器官の延長であり、その意味で、今や誰もがエクソサイボーグ化しているとも言える。
 NTNのネットワークが回復しつつある今、支社は再び世界を知覚しつつあった。混乱は一時的なものであり、恒久的な被害が生じることは避けられた。
 しかし。
「‥‥紫水、蒼山のS1本部南様より、面会のアポが入っているそうです」
 誰かが報告していた。
「オンラインならリンクしてさしあげろ。こちらからリンクするつもりでいたんだ。ちょうどいい」
 わたしは〈彼ら〉の気配を感じた。ロウな技術的レベルにおいて、すでに〈彼ら〉と〈わたし〉の間に差異は無い。差異を生じているのは自己組織化されたパターンが混ざらないことに依るからなのか。湖面に生じる幾つもの波紋が、互いに入り交じることなく交差して広がっていくように。
『どうやら回復したようね』〈メイ〉の声だった。『わたしはSEAIC(東南アジア情報コリドー)の方に残響があったから、回復に時間はかからなかったのだけど、あなたはそうでもなかったようね』
「そのようだ」わたしは答えた。「もっとも自分がどういう状態なのか、自分には全く解らないのだが」
『本当に奇妙な存在ね』
 わたしは答えなかった。奇妙と感じたことは一度もなかったし、そう、「他のことに気を取られていた」からだ。
 会議室中央のディスプレイ空間に椅子に腰掛けた初老の女性が出現していた。蒼山情報警備の戦略担当重役だった。元ハッカーという言い伝えもある彼女は、実務畑叩き上げの情報セキュア分野の権威でもあった。
「南さん‥‥」
 誰かが呟いた。
『会議中失礼します』彼女は言った。『しかし、このような形で突然訪問した理由は御解りのことと思いますが』
「NTNですか」
『そうです。――これはまだ非公式ということにさせて頂きたいのですが』
 彼女が続けて何を言うのか、わたしには解っていた。彼女はこちらが描いたシナリオに乗っている。
『私どもはNTNに経営アドバイザーを送り込みたいと考えております』
「セキュリティ顧問という意味ですか?」
 清水は微笑んだ。軽く右手を動かし、頷く。
「それで、そのことをなぜ私どもに」
『この件について、私どもと緑陽の利害は一致しておりますね。今はまだリンクしておられないようですが、紫水とももちろんのこと。理由は単純です。ただ、不必要な摩擦は避けたいということです』
 会議室に低く小さな笑い声が広がった。
「先ほど非公式と申されましたが‥‥蒼山の上級経営層の見解ではないということですか」
『いいえ。わたくしどもはもしご賛同頂けるのであれば、共同でアドバイザー団を送り込みたいと考えております』
 誰かが半ば聞こえるように言った。
「あれは誰だったかな‥‥NTNの保安部長は」
「橿原」
「そうそう。橿原。彼はいい顔しないだろうな」
「そりゃそうだろう‥‥」
 押し殺した笑い声。
『一度こういうことが起きてしまった以上‥‥』南は会議室の雑談など聞いていない様に続けた。実際フィルタが働いているのかもしれなかった。『もはやNTNの所謂〈見解〉なるものを鵜呑みにし、その上で安穏と暮らしているわけにはまいりません』
 もしわたしに表情があれば、わたしは微笑みを浮かべただろう。代わりにわたしは深淵を覗き込み、声を投げ入れる。
「ヒライ――彼女は本物か」
 そのメッセージはわたしには関知し得ない深いレイヤーでプロトコル変換され、どこかのノードから蒼山のオミュニビークへ伝えられる。
『その問いに意味が無いことは知っているだろう。オリジナルは確かにアクセスしている――』
 くすくすと笑い声が忍び込む。〈メイ〉だった。
『――しかし、セッションはわたしの管理下にある』
 笑い声が遠ざかる。
「南はそのことを知っているのか」
『知らない。しかし、彼女の個人的感想部分にだけ干渉している。僅かな語彙の言い換えだけ。記録を突き合わせない限り、発覚はしない』
 会議は続く。
「‥‥だが、NTNが簡単に受け入れるはずもないでしょう」
『もし、NTNが現状のまま続けようとするのなら、それはサボタージュに等しい行為であり、私どもに対する明白な敵対行為と見なすべきです』
「ヒライ‥‥」
『オリジナル』
 南は続ける。
『現状、すでに各SPPO(特別行政区警察機構)はNTN保安部隊を有する支店、基地の殆どを監視下に置いています。役に立たない保安部門を養うために私どもは利用料金を支払っているわけではありません。違いますか?』
 しばらく間があった。会議室で誰かが口を開く。
「具体的にはどうするおつもりです。顧問を送り込むだけでは不足、と?」
 南は微笑んだ。
『彼らの行動部隊を解体すべきです』
 ふたたび間がおとずれた。しかし、沈黙が破られる気配はなかった。
 好ましい沈黙だった。わたしはそう読み取った。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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