部屋の照明が落ちると共に、水口は何が起きたのかを悟った。水口は記憶を頼りに私室の扉を探る。Y・BayS社を頼りにするのは虫が好すぎる。フリーランスはトカゲの尻尾だ。真っ先に切るだろう。
指先が扉の縁に触れる。赤外動体センサを使った自動扉のはずだが、今は動力が落ちて動かない。水口は縁に触れた指先をそのまま床まで滑らしていく。床面からわずかに高いところに小さな蓋があり、それを開けると中には非常操作用のバルブがあるはずだった。
水口は暗闇の中でエアシリンダーの圧力弁を開放した。エアが抜ける音がする。強情な自動扉は手で開いた。
イメージされた部屋の様子が闇に重なる。こうした事態を予期して、水口は私物を部屋の隅にまとめていた。私物を詰めたバッグ類の中から、ウェストポーチだけを取り上げて、腰に巻く。個人情報がばれる品はすべてポーチにまとめてあった。水口はそのポーチから親指ほどの大きさのトーチライトを取り出し、点けると口にくわえた。そのままバスユニットルームに急ぐ。
どこかから何かが転がる音が聞こえたような気がした。
バスユニットはシャワー、浴槽、トイレを組み込んだもので、ビルの給排水システムを利用することを前提に作られたプラグインタイプのものだった。水口のために用意された部屋も同様にプラグインのユニットルームで、Y・BayS社はユニットルームを会議室に組み込むことで水口の作業場を提供したのだった。
バスユニットの扉を閉める。あえて鍵はかけない。
水口は便器の蓋に足をかけ、そこを足がかりに洗面台に登り、天井のメンテナンス板を持ち上げた。穴の縁に手をかけ、身体を持ち上げる。その後、脚をふることで勢いをつけ、ようやく、全身をメンテナンススペースに上がり込むことができた。
メンテナンス板を元に戻す。
水口はライトを咥えたまま周囲を見回した。この空間はフロアの機能を支えるメンテナンスフロアに通じているはずだった。しかし、パイプ類は壁を貫いているだけで、人が通れる空間は見当たらない。
YSP/IPは17階から20階までの通路をほぼ封鎖した。各階のオフィスルームには数人程度の社員がいたが、YSP/IPは防犯システムを利用して鍵をかけていた。ビルに突入した各ユニットは着実に18階へ包囲網を縮めていく。
ホソダの隊は19階をクリアし、身許確認を後続の隊に任せると18階へ移った。その頃には地上班も18階へ捜査をシフトさせていた。フロアの電源は落ちており、隊員各自が持つ銃に取り付けられたライトが唯一の照明だった。
機械的なロックを管理システム経由で外し、部屋を順番に洗っていく。しかし、ホソダはただ一つの部屋だけを目指していた。その部屋は作戦ブリーフィング前に知っていた。誰かから知らされていたわけではない。しかし、その記憶は確かにあった。ホソダは疑うことなくその記憶に従う。
ジェリー弾で拘束され、廊下に転がされている女性が喚いていた。
「――あなたたち、こんな暴力行為が許されると思っているんじゃないでしょうね――」
しかし捜査員の誰も彼女の存在を気にかけてなどいなかった。彼らはYSP。YSPの利益が何より優先する。
防火シャッターが通路を塞いでいた。すでにシャッターに達していた他の捜査員が紐状の高温燃焼材を直径2メートル程の輪にして貼り付けていた。その作業を終えた捜査員が叫ぶ。
「目を閉じろ!」
ホソダは反射的に腕で目をかばった。〈輪〉は着火されると、青白く強い光を放ってゆっくりと燃焼した。燃焼材が燃え尽きた時、シャッターは円く切り取られ、穴が開いていた。閃光筒がタイミングをずらして数個投げ込まれ、フラッシュが消える前に捜査員達は穴に飛び込んでいった。ホソダも後に続く。
ホソダは目的の部屋を探した。目的の部屋は近くにあるはずだった。
水口は暗がりの中で息を殺していた。周囲を取り囲む構造材を通して物音が聞こえる。くぐもった声。
全身の筋肉が緊張で強ばっていた。水口は周囲の動きを掴もうと携帯端末を受動モードで動かしていた。この状態だと、携帯端末はパッシブ型の無線スィーパーとして利用することができた。もし、この暗い空間の中を、一般に広く使われている通信プロトコルを載せた電波が飛び交っていたら、携帯端末は周囲の通信概況を表示する。そういうユーティリティが組み込まれている。――少なくとも榊はそう豪語していた。
水口は微笑を浮かべた。
携帯端末は沈黙していた。電波は飛び交っていたが、そこから有意な情報は取り出せていない。
YSP/IPの作戦通信プロトコル、か。
水口に確信があったわけではなかった。話に聞いたことがあるというだけだった。YSP/IPは情報犯罪捜査専門という性格上、NTNの保安部との間で縄張り争いが起きているという話は漏れ聞こえていた。NTNの通信インフラを使用しない、つまりNTNを信用せずに独自の通信インフラを持つという話はありそうなことだった。
すぐ近くで物音が聞こえた。水口は携帯端末の電源を落とした。
隣の作業部屋で人が歩いているようだった。
その部屋の突入には、ホソダのユニットの他に2つのユニットが合流した。突入位置確保の順序に従って、突入はホソダのユニットが行い、他2つのユニットは後方確保と支援を分担する。
ドアロックを開放させる。
扉をわずかに開いて閃光筒をほうり込み、強い発光を確認してから室内に突入する。ホソダは右回り、ユニットペアの隊員は左回りに室内を素早く捜索する。ユニットペアは続き部屋への開いた戸口の前で警戒して停まった。支援にまわったユニットの銃身が戸口から室内にのぞいていたが、身を隠し、中に入ろうとはしなかった。
「18-10クリア」
ホソダは囁く。その通信を受けて支援ユニットが室内に入り、後方確保ユニットが戸口を背にして背後をカバーする。ホソダは続き部屋の捜索に移った。室内の情報機器には注意を向けない。そちらは後続して送り込まれる技術者部隊の縄張りだった。
「18-11突入準備」
支援ユニットがカバーポジションにつく。
「FSG」
ホソダの指示に従い、彼のユニットペアが閃光音響筒を取り出し、間を計って放り投げた。ユニット全員が耳を抑えた。イアーレシーバに組み込まれたノイズキャンセラの出力を上げる。
閃光と轟音。音というよりは全身を震わす振動だった。生身の人間が何の準備もしていなければ、20秒ほどの失見当識を引き起こし、その後もしばらく何も聞こえない状況が続く。破片や炎も無く、「安全に」相手を無力化することが可能だった。
ホソダのユニットが突入する。その部屋が規格にそったユニットルームであることは一目で見て取れた。人が隠れられる場所はない。
「18-11クリア。18-12突入準備」
ホソダはバスユニットへの捜索に移る。そこの扉も開いていた。ホソダのユニットペアがフラッシュライトを前方に向けたまま流れるようにバスユニットに入る。ホソダは援護位置に移った。
『18-12クリア』
ホソダは一瞬混乱した。ホソダはフラッシュライトをバスユニット内部に向ける。ユニットペアは外に出した。
突入のタイミングは管理されている。目標の位置は確認していたはずだ。ロックははずれていなかった。
ホソダはライトを上に向けた。天井板は湿気と交じり合った埃で薄黒く染まっていた。しかし板の一部がずれたのか、埃に汚れていない部分が線のように見えていた。
ホソダは銃身で天井を叩いた。案の定、一部音が鈍くなる場所がある。ホソダはマスクを外し、マイクの切った。
「実弾を準備しろ!」
ホソダの指示にユニットペアが動揺したが、ホソダはそのまま待つよう手サインで指示する。
「水口裕子さん。YSP/IPです。御同行願います」
しばらく間があった。
「今出るわ。撃たないで」
ホソダはマスクを戻した。通信機を戻す。
「HQ、03。目標確認。これより確保します」
『03、HQ。了解』