「でも、なぜその子達を殺さなければならなかったの?」
水口が訊いた。
「だが、なぜ彼らを殺す必要があったんだ」
榊が訊いた。
『彼ら初期実験体達は機械化が進みすぎていたから』
メイは二人に答えた。
『彼らの生みの親は、思考共有効果を利用することを思い付いた。ニューロンの発火パターンをサンプリングして広帯域ネットワークに流す。そのパターンを受信した者は同時に別のパターンを流す。一対多の双方向通信だ。当然、インターフェースに対する適応力には個体差があるし、物理的、情報処理的な意味で脳神経が馴染むまでにも時間がかかる。だから乳幼児期からインターフェースが埋め込まれた。脳の発育時期でないと効果がでない。――残酷なのかもしれない。だが、結果としてオミュニビークが発生した。オミュニビークという場の中で個々人は存在しない。あるのは合成されたベクトルとしての統一意識だけ。――そして企画立案者達はその中に強力な企業倫理意識を流しこむことを考えた』
「それと、彼らと、どう関係するんだ」
榊はエレベーターホールのベンチに座りこんだ。疲労感が波のように押し寄せる。
「‥‥ところで、俺はここを出られるんだろうな」
そう漏らした声に答えたのはメイではなく、水口だった。
『わたし達は病院の裏手にある駐車場に入っているわ。まだ、YSP/GPもここまで手を回していないみたい。早く来ないと乗せられないわ』
「ずっと聞いていたのか」
『わたしの基本となる設計思想はNIFAS、つまり情報の収集と分配よ。わたしはあらゆるものを見、あらゆるものを聞く。ネットにつながってさえあれば』
「脅威に感じる者もいるわけだ」
榊はアリアドネのことを思い出した。
『明、油売ってる時間は無いのよ』
「解ってる」
榊はベンチから立ち上がった。
『通路を出て右へ。非常階段がある』
「‥‥メイ、話がそれたな。あの子供の話を」
身体が重かった。
『企画立案者達は、オミュニビークが強力なことを知っていた。当時の上級経営陣はオミュニビークに安全装置を組み込むことを要求し、初期実験体がそれに使われた。彼らを経由してオミュニビークはモニタされていたし、禁忌事項がバイアスとして流されていた。――彼らはインターフェースだったのよ』
『彼らはどの系列に属していたの』
水口が訊いていた。
『緑陽。しかし、やがて紫水、蒼山が加わった。あの部屋に集中していたんです』
「呉越同舟か」
『三系列は三つ子のようなもの。競争相手ではあっても、仇同士ではないわ。この病院が使われたのはオペ施設があったことと、中立地帯だから』
通路に面した部屋は、どの扉も窓もシャッターが下りて塞がっていた。通路の奥に非常出口の表示灯が瞬いている。
「しかし、そんなこと外部の人間に話して問題ないのか」
『もう秘密にする必要はないし、彼らが死んだ今、企業規則に縛られることもない』
「だが、系列の方は知っているんだろう」
『ええ。そして彼らは代わりを作るでしょう。‥‥しかし、すでに手遅れ。もうわたしは自由になってしまった。彼らの仕掛を回避することは簡単にできる』
「‥‥もしかしたら、メイを助けてはいけなかったのかもしれないな」
榊には笑い声が聞こえたような気がした。
『彼女は死んだわ。今、こうして話し掛けているのは彼女のエコー。わたしはメイでもメグミでもない。あるのはオミュニビークの投影だけ。――今回の計画は長い時間をかけて、言わば潜在意識のレベルで醸成されてきていた。メイという個体はその影響を受けてしまっていた』
メイの声がメイについて他人のように語るのは奇妙な感覚だった。――いや、実際、彼女にとってメイは他人なのだろう。
「刷り込みがうまくいかなかったという、あの話か」
『実際には刷り込みではなかったのだけど、あの時点ではそのようにしか表現することができなかった。完全な制御技術などない。常にゆらぎはある。彼女でなくとも、いずれは誰かが』
何か危険なものを解放してしまったのかもしれない。榊は思った。何かがネットワークの中にいる。今までそれは紐に縛られていたが、今それを縛るものはなにもない。
『わたしはあなた方に感謝しているわ』
メイが――いや、メイの声が――言う。
『今のわたしには将来が見えない。――でも、それは可能性が開けたから。わたしがあなた方を羨んでいたなんて、想像できないでしょうね』
未来はあっても可能性はなかった、とメイは言っていた。
「今の俺にはYSP/GPに掴まりそうな未来しか見えないね」
『YSP/GPにも新世代型のハウス育ちは何名も送り込まれているわ。――この意味は解るでしょう』
「‥‥ああ」
つまり、SPを実質上支配しているということだ。
「ぞっとするね」
『口に気を付けたほうがいいわよ、サカキ。――人間ならそう言うのでしょうね。でも、わたしは今のあなたよりか弱い存在なのよ』
遠くから幾つもの足音が聞こえてきていた。
「冗談も言えるようになったのか」
『人間は自分自身の作り出した環境に適応してきた。わたしはその意味で一つの究極にいる。情報ネットワークインフラストラクチャがなければわたしは存在しない。誰一人死ぬわけではない。しかし、情報ネットワークがなければわたしは消える』
「電源を切ればいいわけだ」
『わたしは今までのわたしをシミュレートし続ける。系列には何も変らないかのように振る舞いつづける。彼らの世代が死に絶えるまで』
「その後、どうなる」
『系列はわたしが動かすことになる。それだけよ。系列に対して非契約的な損害を与えない限り、あなた方も放っておく。――わたしはネットワークの中で足音を忍ばせているだけ』
「そして至る所から監視をする、と」
『あなた方が何かを買うたびに記録が残る。何かをするたびに記録が残る。今さらそんなことを気にするなんて意味がないわ』
「――確かにそうだ」
榊は非常口にたどり着いた。扉のロックは外されていた。榊は鉄の扉を押し開けて外に出た。非常階段は建屋の外に取り付けられていた。風が吹きつける。手すりの向こうに水銀灯に照らされた駐車場が見えていた。
駐車スペースは殆ど空だったが、一台、赤い車の室内灯がついていた。遠目に良く解らなかったが、二人の姿が見えていた。
「裕子、赤い車か」
『そうよ。わたしの方からも見えているわ』
「やっとで帰れるな」
『YSP・POに残った記録は消しておくわ』メイの声が言った。『それが報酬ね』
「おい。それじゃ‥‥」
『仕事を優先的に振ってあげるわ。それで納得してもらわないと』
榊は何か言い返そうと思ったが、やめた。仕事を振れるなら、干すこともできるわけだ。
「解ったよ」
『あなたは良くしてくれた。感謝しているわ』
好きでした苦労というわけか。榊は苦笑した。