ストリーム・スニーカー
37. Stream Seekers

 カレンダーは次の月に移った。

 榊は関内からの帰り、車をイセザキスーパーモールの車道フロアに入れた。水口を拾って帰るつもりだった。ここ2週間ほど彼女は蒼山系の総合ファッションプランナーからの依頼を受けて傾向調査・分析の仕事をしていた。水口は精力的に仕事をこなしているようだった。若年層でしかも比較的高取得なグループを対象とした調査ということもあり、自分自身の興味と重なったらしい。榊にはできないマネだった。
 目的とする会社の裏手に車をまわした。透明アクリル張りの「ピア」と呼ばれる待合所で水口は榊を待っていた。厚手だが温湿度調整機能を持つ高機能布から作られた青いブラウスとロングスカートを身につけている。最近伸ばし始めた髪は肩より下まで届くようになっているが、今はヘアケア効果を持つカーチフでうなじの辺りで絞り、袋状に包んでいる。こめかみの辺りには金の髪留め。携帯端末用のレピータを兼ねていることが傍目に解るデザインになっていた。当人はその髪留めで業界人らしさをアピールしているつもりらしいのだが、そのために却って素人くさくなってしまっているのは御愛敬だった。
 榊が車をピアに横づけすると、水口は素早い動作でナビ席に滑り込んだ。

『――未来が保証されていたとしたら、あなたは他の選択肢全てを無かったことにしてしまえるものかしら』
 メイの声は言った。
「不景気な時は良くそう思ったもんだよ」
『では、その保証をするのがNTNの――そう、橿原氏だったとして、あなたは話にのったかしら』
「‥‥仮定の話はしないことにしている」
 だが、榊は苦笑していた。

「どこのチャンネルも開かないで走ってたの? 例の事件の報道流しているわよ」
 車を出すなり水口は言った。
「チャンネル・フォーのニュース・ディビジョンを」
 車載コンピューターは彼女の声を拾い、解析し、意味を拾い、従った。助手席側のフロントガラスが明るくなり、動画像が投影される。
『‥‥NTN上級経営チームは、今回の事態を招いた保安部の暴走について遺憾の意を表すと共に、SP/GP・IPとの連携をより深めるための組織改革について前向きに検討中であると表明しました。今回のNTN側の公式発表を受けて三島・緑陽セキュリティ連絡会議長は‥‥』
 全てを聞く必要はなかった。
「解体が始まった」
 榊は呟いた。水口が訊き返す。
「もはや信用するに値せず、ということさ。系列はNTNの組織を解体するように迫っているはずだ。GP・IPとの連携を深めるなんて言ってはいるが、おそらく保安部はGP・IPとの連絡組織ぐらいにまで縮小されるだろうね」
「それじゃあ、例の橿原氏は」
「そこまでは解らないさ」
 彼が有能であることは間違いない。だが、責任を取らされるのも間違いない。

「――わたしはあの子が羨ましい、と思うべきなのでしょうね」
 榊と水口を磯子へ送る途中、森宮はそう漏らした。
「あなた方にしてみれば、わたし達〈生え抜き〉は脅威でしょうけど、しかし、わたし達には可応性がない。状況が変ればわたし達には適応できない。榊さんならお感じになっているでしょうけど、ある意味でわたし達は御しやすい相手なのですよ」
「‥‥買いかぶりですね」
 そう答えたものの、森宮の言葉には頷けなくもなかった。
「そうですか? ――わたし達は刷り込みによって行動を絞り込まれているんです」
「誰だってそういう傾向はあるんじゃないですか?」
「皆が同じ行動様式をとってしまうという点が問題なんですよ」
「メイは違う、と」
「個体としての彼女はわたしと同じです。ネットワークから切り離されている状態では」
『オミュニビークとしての〈メイ〉という個体は存在しない』カサハラの声が割り込んだ。『人間側のコミュニケーションポートが時間当たり1つしか用意できないため、一つの人格が存在しているように認識されているが、実際にはオミュニビークという場があるだけだ』
「‥‥確かに彼らの方が手強そうだ」
 榊が呟くと森宮は気持ち良い笑い声をあげた。
「〈彼ら〉なんて存在しません」
 メイの声が車のスピーカーから響く。
『〈わたし〉が人間とコミュニケーションを取るためのフレームとして複数の人格を持っているだけなんです』
「本所で合ったのはメイであり、同時にメイではなかった、というわけだ」
『在るのはオミュニビーク、ただそれだけ』

「‥‥森宮さんはどうなったのかしらね」
 雨滴がフロントグラスに落ちては細かい粒子に分解されて風に飛んでいく。前を走る車のタイヤが水煙をあげている。水口は前方に視線を据えたまま呟いた。
「あの時、会社には背いていたみたいだし」
「背くことなんてできないよ。規則違反すれすれだったろうけどね」
「きっと、メイが何とかしてあげているわよね」
「‥‥たぶんね」
 磯子の駅が見えてきた。
「いずれ、みんなメイのようにネットワークにつながっていくのかしら」
「さぁね」
 しかし、それは有り得ないだろうと榊は考えていた。オミュニビークは人工的な存在だ。科学技術のバックボーンがなければ存在できない。生電子インタフェースを発生できるような遺伝子でも組み込まない限り、いつまでも不安定な存在でありつづけるだろう。
「ただ‥‥森宮さんも言っていっただろう。皆が同じになってはまずいんだ。‥‥たぶんね。オミュニビークがネットワークストリームの中で忍び歩きまわ
るなら、俺達はストリームの外に居続けたほうがいいんだろうな」
「誰かがへそを曲げていた方がいいってわけ?」
 そう言ってから水口は笑い出した。
「‥‥それがあなたの地だったわね」
 榊は苦笑した。
「悪かったな」
「そんなこと言ってないわよ」水口は微笑んでいた。「わたしはリサーチャーという仕事を楽しんでいる。今のままで十分だわ。‥‥それに、明は明でいて欲しいし」
「確かにね。裕子が生え抜きみたいになったら、SILを解消したくなるだろうしな」
「誉めているんだか、けなしているんだか」
「お好きなように」
 水口は笑った。
「結局、わたし達がしたことは何だったのかしら」独り言のように呟く。「親離れの手伝い? そんな風に思ったのだけど」
「そんなところだろうな」
 榊は答えた。それがトリガとなって物事が変りつつある。その変化は日々僅かなものだが、確実に変化は蓄積している。最終的にどのような形で落ち着くことになるのか、榊にはまだ解らなかった。だが、変化は歓迎すべきことなのだろうと彼は思っていた。少なくともNTNという軛は消滅しかかっている。もしかしたら代わりに別のものが登場するのかもしれないが――とりあえずま
だ未来は確定していない。
 雨は降り続いている。しかし、空は明るくなってきたように榊は感じていた。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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