YSPが近づくにつれ、事故車が目立つようになっていた。交通情報はどのソースも沈黙したままだし、視覚誘導用の信号機も機能停止していた。かろうじて自律型の古い信号機が動いているくらいだったが、そうした信号機はもともと交通量が少なくて新型に交換する必要がない場所に設置されているもので、役に立ってはいなかった。
赤いフォルテシモは街路を疾走していた。ナビゲーションシステムも自動運行管理システムも機能していなかったが、上空に随伴するヘリから、短波無線で画像情報が伝送されていた。森宮は助手席側のフロントガラスに投影されるその映像を頼りに車を操っていた。
水口はパッドに、送り出した自己複製型エージェントの停止報告が着信していることに気が付いた。それは2つのことを意味していた。
NTNは自分達の施設に仕掛けられたことに気が付き、そして対抗措置を取ることに成功している。つまり、NTNは手負いの虎になったということだ。
水口は喉の渇きを覚えた。
NTN保安部は犠を探していることだろう。
「ネットワークが復旧しつつありますね」
水口がそう言うと、森宮はちらりと時計に目をやった。
「だいたいこの位の時間がかかるものなのね」
相変わらず涼しい顔をしていた。
「NTNは犯人探しにとりかかっていますよ」
「心配かしら」
水口は相手の真意を測り損ねていた。真意を汲み取れると思ってはいなかったが。
「連中はためらわずに人を殺しますよ」
「うちの保安部だってそれは同じよ」そして微笑みを浮かべた。「あなた、話している相手を間違えているのではなくて」
道は長い下り坂に変り、遠く、暗い稜線の向こうにYSPの灯かりが見えた。車は坂を走りおりる。何度となく水口の身体が浮かび上がった。
「森宮さん‥‥」水口はヘッドライトが照らす先を見つめたまま言った。「〈生え抜き〉――ハウス育ち、と呼ばれる人たちとわたしたちとの違いというのは何なのです。榊は心理学がどうとか言っていましたが、それだけではないんですよね」
「最新の世代型はそれだけではないですね。確かに。でもそれは機密事項に属していて、詳しく説明することはできません。――それこそ、心理的に厳重にブロッキングされている領域にあるんです」
車が激しく揺れた。森宮はしばらくハンドル操作に専念した。ゲート下をくぐる。
「ただ、社はNTNのインフラ上に独自プロトコルの広帯域ネットワークを作ろうとしている、ということは話せます。それは他社も同じだし、統欧やSEACでも似たような動きがある。隠す理由はない」
「NTNはそれを」
「良くは聞かされていないのだけど」森宮は水口をちらりと見やった。「あなたがちょっかいを出していたのは、まさにソレだったそうよ」
車が坂をおりきると、森宮はハンドルを左に切った。右から侵入してきたスポーツクーペと接触しそうになるが、危なげなくかわして先に行かせた。
「独自ネットワーク‥‥閉鎖型ネットワークということですか」
「情報資源の囲い込み、とは違いますけどね。それは社員の情報武装装備の基盤――少なくとも、そういうコンセプトではあった」
水口はパッドに注意を戻した。試しに根岸のフラットにコールをかけてみる。ただし、直接にではなく、ブリッジを介してのアクセスで、アシはつきにくい。
フラットからのレスポンスがすぐに戻ってきた。応答時間は普段よりも良好だった。
「ネットワークが回復しました」
「全面的に、ですか」
「少なくとも、ここから根岸までは通じました。エージェントの停止報告が次第に集まり始めていますから、全面回復まで時間はかからないでしょう」
「榊さんは間に合ったかしら」
「間に合う‥‥?」
「ごめんなさい。話すことはできないんです。ただ‥‥あなた、あの病院に探りを入れました?」
「ええ」
「おかしなところがあったと思うのだけど」
水口はネットワークの「穴」のことを思い出した。二重化されたバックボーンを持つローカルネットワークに口を開いたブラックホール。情報を載せたセルフレームはそこに吸い込まれて行くが、出てくることはない。
「穴が開いてました」
森宮は微笑んだ。
「そうなっているの‥‥榊さんに期待されているのは、その穴に入ることなんです」
「どういう意味です」
森宮は口を開いたが、言葉は出てこなかった。
「これ以上は話すことができません。でも、もうすぐわたしたちもそこに着きます」
水口には彼女が言わんとしていることの意味が今一つ掴みかねていた。まわりくどい印象があった。核心には触れず、その輪郭を描いているような感じだった。
無線が鳴った。
『森宮さん。応答願います』
「聞こえています。何ですか」
『ただちに停車してください。あなたの身柄を拘束する命令が出ました』
「今、帰社しているところですよ」
『停車して下さい。あなたの身柄は保安部が預かります。あなたの管理役も同意済みとのことです』
「しかし‥‥」森宮は言い淀んだ。額に汗が浮かんでいるのに水口は気が付いた。
「理由は何です」
『あなたに質問する権限はありません。森宮さん。オーバーライドワードを使うこともできるのですよ』
「少し‥‥この先で、停車、車を止めるわ」
森宮は全身を強ばらせていた。ハンドルを握る手から血の気が引いて白くなっている。
水口は僅かの間、森宮を見つめていたが、咄嗟にパッドを操作した。水口はフォルテシモの車載コンピュータに入りこみ、外部とのデータフローを追った。幾つかは見覚えのある交通情報サービスへのアクセスパス、水口のパットとのアクセスパス、そして残りは‥‥。
水口は車載コンピュータの通信処理シーケンスを乗っ取り、処理シーケンスに成りすます。
『この先にバスの中継停車場があります。そこに入ってください』
細かいセルフレームに分割されたサンプリングデータが流れる。間違いない。水口は上空を飛ぶヘリのデータプロセッサーが持つ通信ポートを走査した。パラレルで、相手の受信待ちの状態にある処理機能を探査する。
『森宮さん。保安部のデータプロセッサに対するブロードアクセス行為は重大な内規違反に問われます。ただちに‥‥』
水口は相手の待機機能を洗い出し終えた。即座に全通信ポートに対してランダムなデータマッスを最大通信速度で送信する。送信しつづける。
ヘリの航法支援システムが、一部プロセッサの機能低下とエラー発生を検出し、縮退動作に移行した。移行そのものは数秒とかからなかったが、一瞬フライ・バイ・ワイアが機能を止め、そして再起動した。その再起動時に機体制御がリセットされる。
低空飛行が災いした。リセット動作が原因で機体下部が交通標識に接触し、姿勢が崩れた。機体制御機構がパイロットの反応より早く姿勢を戻そうとするが、その動作がパイロットの操作とコンフリクトを起こしてしまう。
ローターブレードが街路樹に切り込んだ。
「何をしたの」
森宮が訊いた。バックミラーの中で、ヘリが道路に墜落するのが見えた。
「機体制御システムにバグがあったのでしょう」
水口は震える声で答えた。森宮は小さく笑った。
「事故じゃ仕方ないわね」