ストリーム・スニーカー
26. Infinity Loop

 YSP警察機構の行動は早かった。
 イセザキ・スーパーモール上空でYSP/GPの警邏ヘリが撃墜されると、本牧POBは特殊捜査員を中心とした部隊をNTN本牧支社に空輸した。また、TYISPの機動部隊が戸塚郊外の舞岡にあるNTN中央研究所の包囲に向かっていた。その一方で、横浜近辺に散在するNTN関連会社、特にセキュリティ関係の会社や営業所にTYISPの部隊が急襲し、敷地の封鎖作業に取り掛かっていた。
 橿原はNTNを封じ込めようとする警察組織の動きを、非常用の無線中継網を通じて把握しようとしていた。非常用と言えば聞こえはいいものの、実際には撤去する費用が惜しいという理由だけで残された前世代の通信インフラでしかなかった。伝走路の状況は決して良くなく、SN比は低い。かろうじて現行の各種データプロセッサーが利用できるものの、帯域が狭すぎるため、2世代前程度の性能しか引き出すことができなかった。
 橿原の乗るヘリは舞岡にある中央研究所に着陸した。敷地の周囲はTYISPの装甲人員輸送車が取り囲み、投光器が強い光を投げかけていた。TYISPが搬送波に気が付き、盗聴と暗号の復号を試みているだろうということは橿原にも想像が付いたが、他に手立てはなかった。旧式なEPOC-2アルゴリズムの暗号強度だけを頼みに通信を続ける以外、状況を把握する手段は無い。
「TYISPの部隊責任者と連絡はついたか」
 橿原は車椅子をヘリの出口に走らせながら部下に訊いた。彼の部下達は全員、研究所敷地内を有効範囲とするNARS(狭範囲無線交換システム)のインカムをつけていた。橿原はインカムをつけなかったが、彼のパッドがNARSと接続していた。
「つきました」部下が答える。「YSPよりブリーフィングと同時に中研の敷地封鎖依頼があったとのことです」
「強制排除ではないんだな」
「封鎖依頼です」
 それが当然か、と橿原は納得する。TYISPのスポンサーは北千住を中心とした非系列企業群だ。系列と協力関係にあるとはいえ、全くの言いなりになるわけではない。だが、通信網がダウンして被害を被っているのはTYISPの管轄も同様だ。いつ強行な態度に出るか解らない。
 心持ち冷たい微風が吹いていた。橿原は気配に気づき、空を見上げた。暗い灰色の夜空に赤い航行灯が幾つか旋回していた。
「あのヘリはうちのか」
「TYISPの監視ヘリです。武装はしていません」
 今はな。橿原は呟く。あれは警告だ。こちらが実力行使に出ない限り、銃を頭につきつけたりはしない、と。
 ヘリの中から部下の一人が声をかけた。
「部長、ウォンRCCEからアクセスです」
「パッドにまわせ」
 各地の特別行政区内にあるNTN支社や営業所はそれぞれの警察機構の手が入っているだろう。保安部との間で悶着が起きているはずだ。
 ウォンRCCEからのアクセスというのがその件だろうというのは見当がついていた。今、系列の強制介入を許せば、NTNは消滅する。この場はなんとか凌ぎきり、嫌疑を晴らさなければならない。今を乗り切れば、特別行政区には大きな貸しができる。ウォンRCCEを筆頭とする上位経営陣が腰砕けにならなければ。

 車載電話ではなく、車間無線に通信が入った。
『森宮さん、緑陽保安部です。聞こえていたら応答願います』
 水口は森宮の横顔を見詰めた。ハンドルを握る彼女の表情に動揺は見られなかった。
「森宮です。何か。TYISPの臨検が煩わしいので脇道に入りましたが」
『赤外サイトでそちらは見えています。次のT字路を左折すれば新横浜を迂回してYSP西方に出る道に入れます』
「ご親切に。それで、ご用件は」
『申し訳ありません、こちらのデータリンクが死んでしまいまして、森宮さんの車を経由して社とリンクを張りたいと思いまして』
「こちらのラインも死んでいるわ」
 水口の下腹部に鈍痛が生じた。
「NTNのデータラインは全て死んで、ナビも使えないのよ」
『本当ですか』
「嘘をつく理由は無いし、からかう趣味も無いわ」
『済みません。‥‥それでは、なおさらこちらのガイドが必要なわけですね』
「そちらにとっては好都合なのではなくて」
 T字路が見えた。水口は慎重なブレーキ操作を行い、ハンドルを切った。
『そのまま道なりに走らせてください‥‥先ほど、YSPの上空に爆発の炎を確認しました。万一の場合は近接警護を行いますので、その時は社とのリンクが回復するまでこちらの指示に従ってください』
「‥‥了解」
 通信は切れた。水口は全身の緊張を解いた。
「いい人達みたいですね」
 森宮の口元がゆるんだ。
「あれは彼らの標準手順に従っているだけ。私の安全を確保するためなら、自分の命も賭けるわ。それで命を落とせば、彼らの家族の生活は社が保証する。そういう仕事なのよ」
 水口には返す言葉が見つからなかった。
「‥‥でも、森宮さんが危ない橋を渡るのは仕事ではないのですよね」
「そう。仕事ではない。でも義務なのよ」
「義務ですか」
「後の世代のために露払いをするのは、先に生まれた者の義務よ」
 水口にはひらめくものがあった。森宮が発した言葉に含まれるリズムが契機となって、かすかな記憶を呼び覚ました。
「後の世代というのは、もしかしてオミュ‥‥」
「そう、オミュニビーク。正確な意味でとなると微妙ではあるけれど」
「そのオミュニビークというのは一体何なのです」
 森宮はしばらく答えなかった。
「それは〈意志〉よ。私にはそれと直接コンタクトすることができないから、詳しく説明することはできない。――もっとも、彼らにしてもあなたに説明することはできないでしょうね」
「彼らというのは」
「カサハラ以降の世代。新型のハウス育ちよ。あなた方がメイと呼ぶ彼女も紫水ではあるけれどこちらとリンクしている」
「他社の人間でしょう」
「彼女はハウス育ちでも特殊よ。あのパーソナリティが媒介となって、系列間の壁が消えてしまったらしいわ。彼女を狙った組織にとっては逆効果を引き起こしたわけね」
「それで〈意志〉というのは、つまり、どういう意味なんです」
「〈メイ〉も〈カサハラ〉もオミュニビークが私達とコンタクトを取るための下位構造体でしかない。ああしたペルソナを纏うことで人間とのインタフェースを形成している。オミュニビークそのものはパーソナリティを持たない、文字通り純粋な意志でしかない。意識すらないと聞いているわ。そうしたものは下位構造体に任せてあるわけね」
 水口には森宮が語るものをイメージすることができなかった。
「人では無いということなんですね」
 森宮は微笑んだ。
「あなたの言う〈人〉は私も含めて、頭蓋骨の内に向かって発達した存在ね。でもオミュニビークはその逆で、頭蓋骨の外に向かって発達していく存在なのよ」
 水口は沈黙した。
「尋問はこれで終わったのかしら」森宮は冗談めかして言った。「あなたのパートナーはそろそろ総合福祉病院に入っているわ。私達も合流しましょう」
 森宮はちらりと水口を見やった。
「なぜ、とは訊かないんですね。――そこへ行けばあなたの疑問も多少は解決するはずよ」
 水口はただ頷いた。森宮はアクセルを踏みこむ。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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