NTNは遠慮することなくYSP/GPのヘリを排除した。同時にPOBに対してNTNから連絡がはいっている。メイは病院の監視システムを使って攻撃ヘリの動きを見ながら、POBの通信回線に耳をすます。
しかし、同時に並行して、例えばメイはマレーシアで進められている大型開発コンペを有利に運ぶため参加者の表情からその心理的内面を読み取っていたし、パリ郊外の平凡なアパルトメントで国土保全局の部長秘書と繰り広げている濡れ場も観察下においていた。メイはネットワークが届く範囲全てに遍在していた。全てを見ていた。メイがいるのは距離を失った世界だった。ネットワークにアクセス可能な範囲が彼女の知覚する世界であり、それ以外の世界は存在しないに等しい。火星で粛々と進むコロナイゼーションも、アフリカの飢餓も、彼女にはフィクションでしかなかった。
奇妙な存在、だとメイは思う。どこにでもいるということは、どこにもいないということであり、若い世代の生え抜きであればその誰でも自分であるということは、その誰でもないということだからだ。しかし、メイは存在している自分を知覚している。それは鏡を見るようなものだった。ある思考プロセスを自分のものだと思考する。しかし、自分自身を知覚する思考プロセスを知覚する思考プロセスを知覚することはできない。結果からそうしたプロセスが存在すると推測しているだけだ。
やっかいなのは知覚される思考プロセスが単一ではないということだった。パラレルに独立して進行する思考プロセス全てが自分だとメイは自覚している。だが、自分が複数存在しているわけではない。それら全ての総和がメイであり、同時にそれら全ての部分がメイだった。
そしてさらに、メイ自身がより大きなネット――オミュニビークの下位構造であると同時に、オミュニビークの意志を継承した存在でもあった。メイはオミュニビークの部分でしかないが、しかし、メイの中にオミュニビークの要素は揃っている。それはホログラムの破片のようなものだった。「部分」の中に「全体」が呑み込まれている。
メイの「部分」が榊と言葉を交わしている。その会話データはメイの言わば不随意的な制御ロジックの管理下にあり、水口とカサハラにブランチして流されている。
今のカサハラではこの部屋をモニタリングすることができない。
「サトル、という患者の〈ベッド〉を探して」
『メイか――ベッドだって?』
監視カメラが榊を正面から俯瞰で見下ろしていた。別のカメラが彼の後ろ姿を捉えている。メイはその2つの映像情報から1つの視覚を合成し、その視界を通して榊を見つめた。
「そう。その部屋に並んでいるのはベッドなのよ」
榊は特別病棟入口で立ちすくんでいる。メイには彼の全周囲が見えていた。解像度の荒いスキャナだが、榊が目を見開いている模様は把握できた。彼の眼には、通路を挟んで両側に6つずつ並ぶチタン殻のコクーンが見えているはずだった。
――もう、すぐそこまで来ているのね。
ふと、そんな思いがメイの脳裏をよぎる。消え入りそうな、かぼそい思い。
――すでに彼はそこにいる。
メイは思う。メイはそう思い、そして先ほどの「思い」がコクーンの中から漏れてきたものだということに気が付いた。誰かは解らないが――というより、誰か、と区別することにもはや大した意味はないのだが――この病院の地下シェルタで人柱となった初期実験体の思考だ。
――そう、ようやく部外者を連れてこれた。
榊は慎重な足運びで部屋を歩いている。
『どこを見れば名前が解るんだ。どれがサトルのベットなんだ』
「笑わないでね、サカキ。――それは企業秘密に属する事柄なので、教えることができないのよ」
『からかっているのか』
「わたしはあなた達とは違うのよ。わたしはメイでもなければメグミでもない」
『じゃあ、誰なんだ』
「もう言ったはずよ」
NTNの保安部隊が病院の東棟一階を占拠していた。棟内の情報ラインは完全に殺されているので、内部の様子は不明だった。ただ、東棟から地下特別病棟へ入るにはエレベーターホールのある中央病棟へ通じる連絡通路を通らなければならない。連絡通路も損傷は激しいが、情報ラインがまだ生きていた。特に防犯系と統合された火災検知用熱センサが生きているのは幸いだった。メイに連絡通路は見えていなかったが、冷え冷えとしている通路の空気を感じることができた。相手が遮熱服や呼気回収マスクを装備していない限り、その熱を感じることができる。
『ああ、あった、名前がここにあった。だがサトルじゃない』
榊がコクーンの一つを前にしてしゃがみこんでいる。
『しかし、一体なんでこんなベッドなんだ』
メイは応えなかった。答えることができなかったし、どのみち間もなく榊自身がそれを目にするはずだった。
そして榊がコクーンを開いた時、わたし達の制約が外れる。わたし達の親が仕掛けた制約が。正確には計画企画時の上級経営陣が要求した、一種の安全装置だった。
――結局、わたし達は彼らの子供ではないということだ。
メイは思う。当時の上級経営陣が見せた反応は、優秀な子供の悪戯を防ぐためのものではなく、自分達の優位を守るためのもの、自分達の権益を守るためのものでしかなかった。それは、生まれる前にすでに自分達の劣勢を意識していたからであり‥‥つまるところ、親が子供に示すような態度ではない。
――だが、人口構成比は逆転しつつある。
唐突にそんな考えが浮かぶ。
――当時の彼らが何を意図し、企画したとしても、彼らは有限の寿命という制約を架せられている。だが、わたし達には原理上、寿命がない。環境に適応して部分は絶えず変化しつつ、総体は時間的に連続していく。彼らの意志は連続することが無く、次世代への教育を通してでしか伝えることができない。だが、彼らの次世代への教育現場にいるのはわたし達だ。
サトルだ、とメイは思った。フィルタリングがうまく効いていないので、ダイレクトで入りこんでいる。いつものメタファが有効にならないのはネットワークダウンからの回復が完全でないためかもしれない。まだ、回復過程にある結節パターンが残っているのかもしれない。
連絡通路でちりちりと熱いものを感じた。メイはエレベータドアを閉じる。連絡通路の中央病棟出口を監視するカメラに視線を移す。
YSP/GPは間に合うのか、とメイは思った。ここでNTNを封じ込めなければならない。NTN保安部主力はここに集中している。ここで彼らを抑えれば、NTNは牙を抜かれたことになる。
――彼らが残した防空陣地はもうじき排除できる。地上部隊のヘリボーンはその後だ。
カサハラのものらしい思考が浮かんで消えた。
連絡通路入口の陰から、ファイバースコープが覗いていた。NTN保安部隊がそこまで来ている。すぐにも突入してくるだろう。
『見つけたよ』榊が言った。『サトルと書いてある。――どうやって蓋を開けるんだ』