ストリーム・スニーカー
31. Down the Slope

『‥‥エレベーターの動力は落ちている。エレベータードアを開けて、降りてもらうことになる』
 何だって?
『武力襲撃を受けた時の標準防御手段だ。降下手段を心配する必要はない。素人でも降下できる』
「ありがたいね」
 榊は粉塵ただようエレベーターホールに入った。照明が神経質な明滅を繰り返している。鉢植えのゴムの木が途中から折れていた。ライムグリーンの内装は穴だらけで、セラミックの壁板が大きく割れている。警備員の死体が一つ、床に頭を半分ほどめりこませていた。エレベータードアはなぜか鈍い銀色で、他の内装とは不釣り合いだった。小さく放射状に煤けた跡が幾つもあり、大きな放射状の煤が一つ、床にできた半円状の窪みとつながるように広がっている。
「派手だな」
 榊は死体を跨ぎ越そうとし、その頭部が床にめりこんでいるわけではないことに気が付いた。
『襲撃ユニットは情報不足だった。御粗末としか評価できない』
 榊はカサハラの言葉を聞いてはいなかった。床の死体に注意を奪われている。彼女の頭は半分無かった。
『彼らは突入時のインパクトのみでここまで到達したが、充分な装備がなく後退した。彼女は運が無かった』
 榊は死体から視線を引き剥がした。
「この警備員を見殺しにしたのか」
『そうだ。襲撃ユニットの突入から4分後に彼女は死んだ。ここの警備モニタリング設備がその過程を全て記録している。襲撃者の装備は警備の装備を上回っていたため、体勢を整えるため後退させざるを得なかった。関係者は彼女の死を知っている。そして死んだのは彼女だけではない。全員がどういう状況で、どのように殺されたのかを、関係者は皆知っている』
 榊は無言のままエレベータードアの前に立った。重く、鍵の外れる音が扉の向こうから響いてきた。
『ロックは外した。ドアは手で開く』
 榊はエレベータドアの中央の隙間に指先をこじいれ、左右に引いた。ドアは重く、ゆっくりと、しかし滑らかに動いた。コンクリートの臭いが鼻につく。
『エレベータシャフトの向かって右手に昇降用の梯子がある。それを伝って下へ』
 榊は竪穴に頭突っ込み、周囲に視線をめぐらせた。カサハラが言うように、向かって右側の側壁には溝があり、その中に梯子段が嵌め込まれていた。
「底まで降りるのか」
『そうだ』
 榊は腕を伸ばして梯子段の一つを掴んだ。そのまま身体をシャフト内へ振子のように躍らせる。爪先がまず壁に触れ、次いで梯子を捉えた。榊は深く息を吸い込むと慎重に降り始めた。
『それほど深くは降りない』
 榊は唇をなめると、慎重にマイクに話し掛けた。
「カサハラ、ここで何人の社員が死んだんだ」
『6名。重傷8名』
「彼らの死に何も感じないのか」
『その問いに意味はない』カサハラは即答した。『なぜなら、どのように答えようとも、榊はその答えを計算されたものとして受け止めるだろう。もちろんわたしはそうするだけの能力を備えている。そして榊にそれを見破る能力は備わっていない』
 もちろんそうだ。
『だが、これだけは伝えておこう。悲嘆に暮れる贅沢はわたしには許されていない。何も感じないわけではない』
「しかし、その機能はブロックされている」
『――哀しむ暇があるならば、その時間を使って対抗策を考え、実行しなければならない。わたしは同時間に大勢の人間とアクセスしている。彼らはまだ生きている。わたしには生きている彼らの方が気がかりなんだ』
 榊は答えなかった。ただ、彼の言葉を反芻し、そこに真偽の違いを見つけ出そうとしていた。梯子を降りる。
「‥‥死んだカサハラよりも生きているカサハラ、ということか」
『わたしは彼らのネットワークの中にいる。そして彼らはわたしの中にいる。彼らについて言えば、生死に意味はない。彼ら以降のハウス世代にとっては』
 結局はそこに行きつく。榊は同じ問いを繰り返す。
「オミュニビークとは一体なんだ」
『わたし、だよ』
「単純なネットワークではないのだろう」
『ネットワークは単純なものだ。‥‥下に降りれば解る』
「はぐらかされてばかりだな」
『はぐらかしてなどいない。彼ら――というのはつまり、カサハラ以降のハウス育ち世代のことだが――の総体がわたしであり、同時に、彼らはわたしでもある。部分ではなく』
 榊は足元に目をやった。エレベータキャビンの屋根が近くに見えていた。
「情報交換システムのようなものか――NIFAS(折衝情報武装・支援システム)とか」
『当初はそれが目的だった。末端社員個々の得た情報を中央に戻し、リアクションを返す。社員そのものが業務主幹系情報システムのフロントエンドラインになる。だが、それではレスポンスが十分ではなかった』
 榊はエレベータキャビンの屋根に飛び降りた。べこん、と大きな音がシャフト内に響く。
『NIFAS‥‥20年程前に各社IM部門で流行した概念だから、榊は知っているだろう』
 榊は頷いた。NIFASの概念は20年以上の昔からあった。データプロセッサというものが会社経営に組み込まれる前から存在していた。外部移動端末から情報を力し、必要な情報を出力してやる。単純な発想だ。要するにそれはコンソールを持ち歩いているだけなのだから。しかし、それが実現するまでに、今のブール演算ユニットを持つプロセッサの原型が誕生してから約半世紀という時間が必要だった。そして、それが実用となるまでにさらに半世紀程かかった。全ては広い意味でのハードウェア性能が原因だ。要はデータプロセッサというものが身近なものになるほど、高速なレスポンスと、高度なデータ処理能力が要求される。しかし、両者は背反の関係にある。
 NIFASは末端のフロントエンドにいる社員に大きな裁量権を与えるためにバックエンドで動作する意思決定システムだった。具体的な契約締結作業を即時に行うことを目的とし、それだけに意思決定システムのレスポンスは重要だった。
 榊はエレベータキャビンの屋根にひざまずき、上げ蓋を持ち上げた。照明装置の裏板が覗く。榊はしばらく考え、そして足で照明を蹴落とした。穴の縁に手を置き、慎重に中へ飛び込んだ。
「‥‥続けてくれ。オミュニビークはNIFASとは違うのだろう」
『このエレベータドアも手で開けられる。‥‥NIFASの問題は意志決定エンジンの弱さにあった。遅いし、複雑な個々のケースに対し、柔軟な対応ができない。そこで、各社ともNIFASの設計コンセプトを改めた』
 その話なら榊にも聞き覚えがあった。
「データプロセッサに処理を任せるのではなく、バックエンドにも人間をつかせた。従来の意思決定機関がフロントエンドとバックエンドを二極化させた」
『その通り。だが、それではバックエンドにつく人間をフルタイムで拘束することになるし、システム化する意味が無い』
「だが、その点はクリアしたのだろう」
『結果的には。――中へ』
 榊はエレベータドアに手をかけ、左右に引き開けた。まずキャビンのドアを開け、次いで建屋側のドアを開く。隙間から冷たい空気が流れ出てきた。

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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