ヘリは北へ飛んだ。横浜駅ビルブロックを左手にかすめ、さらに北上する。京浜産業帯へ――旧港北区へ向かっている、と榊は見当をつけた。
カサハラが微笑みを浮かべる。
「吉田というところまで行きます。緑陽の物流基地があります」
「何をさせたいか、話してくれる約束でしたね」
「申し訳ありません。彼女はただいま接触できる状況にありません」
「あなたは知らないのですか」
「わたしではお答えできません」
榊はその答え方にひっかかるものを感じた。
「メイしか知らないのか」
答えはなかった。
「何の話なの」
水口が割り込む。
「ハメられた、って言ったろ」
「さっき言ったメイって誰」
「お前も会っているよ。言問橋まで来たことあるだろ」
「あの娘、戻ってきているの」
「いや、そういうわけではないらしい。幽霊みたいなものらしいな」
「どういうこと」
「俺もそれを知りたい」
水口は怪訝そうに榊を見つめ、やがて窓の外に視線を移した。横浜市街の灯かりは後ろに遠く、闇の中にぽつりぽつりと人家の灯かりが散らばる。首を巡らして後方に目をやると、ぼんやりと白い雲がのびあがっているのが見えた。水口は目を凝らした。何かが動いたような気がした。
隣では榊がカサハラと話している。
「――吉田に着けば教えてもらえるんですね」
「吉田なら可能です。少なくともヘリの中ではだめです」
「帯域の問題ですか。それは」
「まぁ、レーザーリンクでもできれば良かったのですが――」
水口は雲を背景にして黒い影が動いているのを見つけた。鳥のようだが、鳥の飛び方とは違うようだった。
「何かヘンなものが飛んでいるわよ」
「鳥だろ」
榊が面倒くさそうに答えた。
「鳥じゃないみたい。だいたい、鳥って夜中に飛ぶものなの?」
「灯かりがあれば飛べるだろう」
「どこにそんなものがあるのよ」
カサハラが何事か小さく囁く。
「まだ、見えるのか」
「あれよ」
榊は窓に顔を押し付けた。
「どれ」榊は目を凝らした。「何もいない――」
ヘリが大きく傾き、榊は床に転んだ。
「済みません」カサハラが言う。「尾けられていました。振り払います」
「尾けられたって――NTN!」
水口はそれきり絶句した。
「まだ解りません」カサハラは天井に手を押し当てて身体を固定していた。「パイロットの暗視ユニットはヘリの姿を捉えたのですが、レーダーには映っていません。IFFにも応答ありません」
ヘリは左に大きくバンクすると共に降下していた。雑木林の梢をローターブレードが生み出す下降流が激しく撫で付ける。パイロットは暗視装置だけを頼りに谷戸を抜けた。放棄され、荒れるにまかされた市道を見つけるとNOE(匍匐飛行)に移る。
「振り払えるのか」水口に手を借りながら榊が身を起こした。「ご自慢の保安部は」
「呼ぶ暇はありません。彼らの到着を待つのは危険です」
榊はカサハラを黙って見つめた。
ヘリは小高い丘の横を飛びぬけようとしていた。廃虚となった集合住宅の群れが道路ぎわに並んでいる。パイロットは集合住宅の列が途切れると機体を再び大きくバンクさせ、丘の裏へ回りこむように機動した。
水口は窓に張りついた。黒い影は見つからない。
「振り切ったんじゃ‥‥」
「相手が赤外サイトを持っていたら、このヘリは灯台みたいなものです。周囲は冷え切っています」
「じゃあ、どうやっても逃げ切れないと」
「パイロットを信用してやってください」
「保安部は」
答えは無かった。
ヘリは小さな川の上に沿って飛んでいた。第三京浜の高架陸橋をくぐると上昇し、大きくひねると高速道路の上に入った。交通量は殆ど無く、見捨てられたような道路だが放棄されているわけではない。パイロットはライトを点灯し、路面を擦るように飛んだ。車を一台追い抜く。
「車に化けるのか」
「私が指示しているわけではありません」
「すごい腕だな」
「東アフリカから引き抜きました」
「向こうでもこんな事を?」
「企業秘密です」
カサハラが再び何事か囁く。
「‥‥どうやら撒けたようですが、油断できません。この先の都筑インター手前で降ります」
「カサハラ――さん。このパイロットはどこの所属になるんですか」
「どういう意味ですか」
「身分ですよ。通常業務に就いていないのでしょう。しかも保安部でもない」
「お答えしなければならない理由はありませんよ」
カサハラの表情は変らなかった。榊も顔色が変ることを期待していたわけではなかった。
ヘリが上昇した。右手に灯かりが見えている。
「着きました」カサハラが微笑む。「そろそろ接触があると思います」
「彼女はちゃんと説明してくれるんだろうね」
カサハラは答えなかった。ヘリは無数のライトスタンドに照らされたヤードに向かって飛んでいた。コンテナが積み上げられ、配送を待っている。
受呼フィルムが振動した。
『一波乱あったようね』
「説明してくれるんだろうな」
『そうね。そろそろNTNが総合福祉病院を襲撃する。説明する頃合いね』
「NTNと組んだのか」
メイはそれに応えなかった。
『あなたは知りたがったわね。わたしの狙いがどこにあるのか。――わたしはわたしを解放するのよ』
「メイが、か?」
『メイではないわ。――〈わたし〉、よ』
「あの娘は何を言っているの」
水口が訊いた。回線は彼女にもブランチしていたらしかった。
「‥‥それで、何をするんだ」
『あなたには総合福祉病院へ行ってもらうわ。準備はしてある』
「NTNと鉢合わせさせようってのか。よせよ」
『大丈夫よ。切り札があるの』
「切り札だって‥‥」
榊には思い当たるところがあった。
『そう。あなたの切り札』