ストリーム・スニーカー
28. Devolution

「もう一度繰り返せ」橿原は回線を確認しつつ言った。「榊を発見したんだな」
『そうです。目視で確認。総合福祉病院前です』
 帯域の細い回線を通して聞こえるパイロットの声はノイズに半ば埋もれているようだった。
「中研に戻れ」
『了解』
 橿原は修善寺にいるウォンRCCEとの回線を復旧させた。
「ウォンさん。この件の重要参考人を確認できました。彼の身柄を確保できれば、顧客の心証も良くなるでしょう」
『そう願いたいね‥‥』アナログスクランブラをかけられているため、短い間隔で規則正しくノイズが乗っていた。『まぁ、我々のように肩書きばかり大仰な連中が頭を下げて時間が稼げるのなら、いくらでも下げるよ。減るものではないからな。ただ、その代わり、無駄に下げさせないでくれたまえよ』
 橿原は緊張した。
「良く心得ているつもりです」
『他のメンバーは何人か陳謝にまわっているようだ。わたしの方も直接出向くよ。ただ、よそと連絡がつかなくてね。君ぐらいなもんだ』
「ネットワークの復旧には全力を挙げてとりかかっています」
『よろしく、頼む。では、な』
「申し訳ありませんでした」
 回線は切れた。橿原は深く息を吐くと、車椅子に体重を預けた。いつものことだが、いつのまにか全身が強ばっていた。気ぜわしく室内を一瞥する。所員のリフレッシュスペースを橿原は徴発していた。天井まで伸びた観葉植物の葉が室内灯の光を浴びて、プラスチックのように見えていた。
 橿原はNARSを通して部下にアクセスした。
「経路情報の復旧状況は」
『混乱を引き起こしたウイルスを特定しました。ゲノム情報は抽出済み。現在、パスツールシステムがワクチンを合成していますが、問題が』
「合成できないのか」
『いえ、そうではなく、ネットワークが使えないため、ワクチンを自動配布できないのです。全ノードを閉塞させて、個別にワクチンを適用させないと』
 ああ、そうか。橿原は思わず頬をゆるませた。今は全てのノードが、全交換機が独立しているのも同然なのだ。免疫系を支える根幹システムが攻撃されれば、手も足も出ない。ゼロから始めなければならない。
 しかし。
 橿原は記憶を掘り起こした。
「いや、全ノードに外部呼要求をリジェクトさせろ。ルーティングは全滅したわけじゃない。リジェクト命令を流して、トラフィックが低下したらワクチンを配布しろ。ワクチン有効を確認の後、リジェクトを取り消せ。運用の宮島が何か言って来たらこちらにまわせ」
『解りました』
 橿原は回線を切り替えた。
「橿原だ。全員揃ったか」
『全員出社しました』
「総合福祉病院だ。榊明の身柄を確保。同時に先発部隊を回収しろ。私も同行する」
『了解』
「TYISPと事を構えるな。速やかに現場を確保しろ」
『了解』

 榊はカサハラの声に導かれるようにして病院の建屋に入った。その声はジャンクホラーによくある「霊界からの知らせ」といったものを榊に連想させた。だが、そのようなものでないことも良く解っていた。その声は総合福祉病院のNARSを経由して伝わっていた。そしてNARS上を流れるために、その音声データは高解像度のPCM(位相コード変調)波形となっていて、元の音声とは似ても似つかぬ波形を描いている。幽霊にそんな変調ができるとは思えない。そしてまた、NARSは通話相手がオンライン、つまりパッド等のデータプロセッサ装置を使っていることを榊に伝えていた。幽霊がパッドに話しかけているわけだ。
 馬鹿馬鹿しい。榊は苦笑する。物理的に働きかけている以上、それは物理的な存在なのだ。幽霊ではないナニか。
『貴方の姿をモニタが捉えたようだ。――そのまま廊下を奥まで』
 院内は血の臭いがした。待合室では椅子が散乱し、受付のブースは無残に破壊されていた。硬化アクリルのパーテーションが砕け、弾痕の連なりが壁に幾つものミシン目を描いていた。模造大理石のタイルが敷き詰められた廊下には、細かい瓦礫に混ざって、鈍い金色の筒――薬莢が散らばっていた。ひしゃげて水滴が飛び散った瞬間を固定したような形をした鉛色の粒も転がっていた。人の指が落ちていた。
「ここでも戦闘があったのか」
『正当防衛手段を講じただけだ。こちらの犠牲は多い』
「相手はNTNなんだな」
 答は無かったが、榊にとっては必要でもなかった。それ以外、考えようがないからだ。NTNが踏み込んできたからには、それなりのものがあるに違いなかった。
 ――それがつまり、オミュニビークというわけだ。
 NTNはオミュニビークについて知っているのだろうか、と榊は思った。たぶん知らないのだろう。ただ、何かがここにあることを嗅ぎ付けた。それが優子の請け負った仕事だったわけだ。YSPから反撃があることを承知で起こしたアクション。威力偵察。

『突き当たりを左に』
 〈カサハラ〉の声。だがカサハラは死んだ。榊にもたれかかったまま息を引き取った。
『‥‥そこにエレベーターホールがある。そこで待て‥‥』
 だが、死んだのは本当に〈カサハラ〉なのか? そして、統欧で死んだのは本当に〈メイ〉なのか?
 〈カサハラ〉の声に現実に引き戻される。
『‥‥言っていることの意味が不明だ。解るように言い直してくれないか』
 榊は苦笑した。いつの間にか独り言になっていたらしい。
「ここに来るまで一緒だった、あの〈カサハラ〉は誰だったんだ」
『〈わたし〉だ』
「彼は死んだよ。死人は喋らない」
『オミュニビークは条件付きで不死だ。サカキ、わたしには自分が死につつある記憶もある。同時に会議で発言している記憶もある。病院の前で死んだわたしは、わたしの幾つもある相の一つでしかない』
「つまり、カサハラが無数いるということなのか」
『一人。いるのはオミュニビークただ一人。他はみな影だ』

'Stream Sneaker'
Satoshi Saitou
Create : 1998.08.02
Publish: 2010.07.08
Edition: 2
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