アンダー・ウォーター
5.

 ネットワークにピンを刺す。
 水口は榊のレクチャーを思い出しながら、〈ピンボーイ〉をネットに放つ。〈ピンボーイ〉はデータリサーチャーやシーカー、ウェブスニファー達の間に伝えられ、改良を重ねてきたエージェントプログラムの一つだった。
 水口の目の前にあるパッドから放たれた〈ピンボーイ〉は一旦別の小規模なネットワークに分身を送り出す。分身はオリジナルと同じ機能を持っている。分身達は送り出された先でさらに分身を生み、分身を生み、分身を生み‥‥。
 そしてネットワークが分身同士の間で行われる情報交換のトラフィックで注目を引く寸前に、最終的な目標となるネットワークへデータデテクターを撃ち出す。
 このデータデテクターが〈ピンボーイ〉を構成する幾つかのモジュールの中でもっとも洗練された部分だった。撃ち出されたデータデテクターはかなりの曖昧さの範囲内でデータを検出する。
 水口が狙ったのはYSPネットワークだった。無数のデータデテクターは合法的なルートからYSPネットワークを襲撃し、数秒のレスポンスで結果を返す。
 キーワードは幾つかあったが、それらキーワードから構成される意味は〈追跡〉だった。
 パッドに応答結果が表示される。その表示を見て、水口はもっと大きなパッドを使えば良かったと悔やむ。出力結果は複雑で、細かかった。
 〈ピンボーイ〉は幾つものデータにピンを刺していた。
 ネットワークにはデータがあふれている。それらの大多数はまず何の利益も生み出さないスラッジだ。たわいのない会話、陳腐な愛のささやき、凡庸な議論。だが時にはそうしたデータの中に手がかりが埋もれていることがある。
 テキスト、マークアップグラフィック、アイコン。ディスプレイ上でそれらが奔流となる。雑多な文字、雑多なイコン、雑多な情報。文脈から切り離されたデータの断片が前後に煩わされることなく放り出される。背景を失ったパラグラフはその情報を失い、ただの文字列へ還元される。一貫性も整合性もないまま投げ出されるグラフィックは喚起すべきイメージを失い、ただのパターンへ還元される。
 情報が解体される。
 水口はなすすべもなくスクロールする文字列と色彩のパターンを眺めるしかなかった。自分のしでかした結果に半ばおびえながら見続けるしかなかった。
 条件を絞り込んでいたら。水口はパニックに陥りかけながら思う。検索条件をもっと絞り込んでいさえすれば。
 しかし水口は〈ピンボーイ〉の有用性が、非常に曖昧な検索を行うその仕様にあることを解っていなかった。AI検索が登場しながらも、なおまだ人間のデータリサーチャーが存在するのは、〈ピンボーイ〉等、古くからあるツールを使いこなすからに他ならない。
 情報が解体される。
 奔流となって流れ去る情報はその個々の意味を失う。最初水口はなんとかスクロール速度を落として、全ての情報が持つ意味をすくいあげようとしていた。しかし〈ピンボーイ〉が生み出したエージェント達が戻す情報量は圧倒的だった。
 意味を失った〈何か〉が流れている。
 水口はその〈何か〉に気が付く。
 水口の目は時折フラッシュのように文字列とパターンを明確に捉えている。そのフラッシュが連続し、一連のシーケンスとなり新たな文脈を形成する。水口はそれが何であるのか、無意識のうちに注意を向けている。その文脈に決定的に欠けている情報があると感じている。
 たとえば水口は、7/24にイセザキスーパーモールでYSP/GPが大掛かりな行動を起こしたことを感じ取っている。たとえば水口は、7/24にTYISPが横浜各所で検問を張ったことを感じ取っている。たとえば水口は、7/24にイセザキスーパーモールで強盗騒ぎがあったことを感じ取っている。そして水口は、TYISPとYSP/GPがYSPから川崎方面に向かって活動範囲をシフトしていったことを感じ取っている。それは演習と呼ぶには不自然だった。その不自然さを説明するもの、それが欠けている情報だ。その情報は背景となる情報をバックにして暗いシルエットとなる。その輪郭は掴めている。シルエットそのものが明らかになることはないが、しかし、次にどこをつつけばよいのかという指針を提示する。
 情報の奔流が唐突に終わり、水口は我に返った。まだ軽い精神の昂揚感が残っている。
 水口は椅子の背に体重を預けて、大きく息を吐いた。髪をかきあげる。
「オーケー」水口は一人呟く。「じゃあ、次、行くわよ」

'Under Water'
Satoshi Saitou
Create : 1996.06.29
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
Copyright (c) 1996-2010 Satoshi Saitou. All rights reserved.