アンダー・ウォーター
11.

 子供たちは水辺の部屋で、親が迎えに来るのを待っていた。部屋の壁には後から取り付けられたらしい扉があった。今、その扉は外に向かって開け放たれている。土屋がその前で横座りしていた。子供たちは全員で9人。一番年かさの子で12才。それ以上になると一人で留守をしているか、働きに出るようになる。そうしたことを榊はクラッドから聞いた。
「何して働くんだ」
 榊は子供たちの待合室をのぞいた後、クラッドに訊いた。
「陸から食料や雑貨を売りに行商船が来る。そいつの手伝いだな。たいていは」
「違法じゃないのか」
「もちろん違法だよ。陸ではな」
 そんなものかと榊はそれ以上詮索するのを止めた。
「こんばんわ」
 待合室の方から声が響いた。榊が待合室をのぞくと、榊と同い年か、少し年上位の男女が戸口の向うに立っていた。二人とも腕に東京湾開発共同企業体(TBDJV)のロゴが縫い付けられたオレンジ色のカバーロールを着ていた。
「こんばんわ柏木さん。‥‥じゅん君、じゅーん君。お迎えだよ」
 そのじゅん君は紙を丸めた棒で誰彼構わず叩きまわっていた。彼より年上らしい少女が後ろから羽交い締めにして、よたよたと無理矢理ひきずって行く。
「ありがとう、さきちゃん」
 と、カバーロールの女性。
 榊は一部始終を苦笑しながら見ていた。こんな小さい子供がこれだけ集まっているところは最近珍しい。――それだけに耳障りでもあった。
「晶ちゃん」今度は中年の女性が顔を出した。「茄子仕入れてきたよ。後でうちのが豚肉持ってくるよ。相変わらずの工場ものだけどさ」
「済みません」
「いいのよ。気にしなくたって。‥‥じゃ、台所借りるわね」
「ああ、今ガスが切れてて、ボンベ替えないと」
「やっとくわよ」
 榊とクラッドはその場を離れた。薄暗い廊下を階段まで歩く。重たく感じるほどに、空気は暑く、じっとり湿っていた。きれいに掃き清められてはいたが、むきだしになった灰色のコンクリはどうしよもなく陰鬱だった。
 階段の前に出たとき、クラッドが声を上げた。階段にメイが腰をかけていた。踊り場には明かり取りの小窓があり、彼女の表情は暗がりに沈んでいる。
「ずっとそこにいたのかい」
 榊は訊いた。シルエットが頷いたように思えた。
「なんでみんなと遊ばないんだ」
 クラッドが訊く。
「わたしは子守りじゃないわ」
 相変わらず表情は判らない。
 〈メイ〉は何者なんだ。榊は思った。
 彼女は本当に子供なのか?

『一体何様のつもりなの』
 回線の向うで水口が怒鳴っていた。榊は壁に寄りかかり、ボリュームを絞った。
「後で埋め合わせはするから」
『今までの埋め合わせ全部で、私の終身社員章が買えるくらいなのよ。知ってる?』
「お前、助手だろう?いいから、おれのパッドを東京駅まで持ってきてくれ」
『じゃあ、ちゃんと支払いはあるのね』
 隣りのダイニングで食事の準備をしている住人達を意識して、声のトーンが落ちる。
「ああ、払うよ」
 しかし、この調査はボランティアで、実入りはない。榊が自腹を切るしか無い。
『でも、間抜けね。パッドを忘れるなんて。‥‥何を調べるの』
「系列から出ている捜索届けのリストだよ」
『それって、わたしでもできる?』
 榊はためらった。
「それほど難しくはないだろうな。――やってみたいか」
『もちろん』
 榊は系列から少女を対象にした捜索届け全てを取り出すように指示する。
「深入りするなよ」
『とーぜん』
 回線は切れた。榊は不安を感じながら明かりがともるダイニングに戻った。
「電話してたのか」
 テーブルを拭いていたクラッドが訊く。どこか探るような目付きをしていた。榊は軽く頷く。
「相棒に調査を頼んだ」
 ダイニングテーブルに座っているメイの目が細められる。
「調査って‥‥メイのだよな」
「今回は仕事道具を持たないまま来てしまったんでね。本当は持ってきてもらうつもりだったんだが、むこうでできると言ってきたんで」
「それで‥‥終わりそうなのか」
「何とも言えんね。相棒に頼んだのは予備的な調査だよ」
「よかったな」クラッドがメイに言う。「お前の身元がちゃんと分かるかもしれないぞ」
 クラッドの言葉はどこか白々しかった。メイの方は黙殺している。メイの目は榊をまっすぐに見据えていた。その暗い瞳が問いかける。
 ――わたしをどうするつもりなの。
 それを決めるのは俺じゃない。榊は思う。決めるのはいつもクライアントだ。
「今日は茄子をごま油で炒めた料理だそうだ」クラッドは一人話続ける。「天然ものじゃなくて木更津の食料工場製ってところが気に入らんが、まぁ、今時仕方ないよな」
 クラッドの使う言葉は榊とメイには通じなかった。彼は違う世界の異なる言葉を喋っていた。彼の言葉は榊とメイに届かなかった。
「第一、この土地じゃ、工場製でも新鮮なのが手に入るのはめずらしいそうだ」
 榊はふと苛立ちを覚えた。クラッドはどの現実に住んでいるんだ?
 メイは榊を凝視し続ける。
 俺にすがるな。榊は思った。すがるな。
「お皿運んでー」
 キッチンから土屋の声がした。クラッドが出て行き、榊とメイと、沈黙が取り残された。

 ダイニングテーブルには土屋とクラッド、榊とメイ、そして韮山という中年の夫婦、計6名が席についた。ダイニングは他の部屋と同じく殺風景で、部屋の片隅に据えられた台の上にある花瓶に生けられた綿のような淡いピンクの花が唯一の潤いになっていた。土屋の趣味なのだろう。
 テーブルの上には大皿が一つ、周囲に小皿が幾つか並んでいた。大皿の中にはごま油でてらてらと光る茄子と挽肉がどっさり盛り付けられていた。周囲の小皿には魚の刺し身が並ぶ。系列のロゴが入ったパッケージフードとは一切無縁の、つつましやかで素朴な食卓。
 韮山夫妻はにぎやかで、和やかだった。夫人の方は喋る合間に食べ、ご亭主の方は食べる合間に相づちを打った。
「でも良かったじゃない。自分から名乗ってくれたんだもん。少しずつ心を開いてくれているのね。――ね、メイちゃん」
 メイはもぐもぐと口を動かしている。無関心を装っているが、緊張している様子が榊には判った。落ち着きなく目が動く。
 何を警戒しているのか、榊には想像が付いた。榊自身緊張したくなる想像だった。
「本当に、このくらいの子供ってかわいいわぁ。このくらいが一番かわいいものなのよ。大きくなるとだんだん憎まれ口叩くようになって、それはもうかわいげのなさといったら、自分が生んだことが信じられないくらいなんだから」
「ありゃお前に似たんだ」
 韮山氏の言葉に土屋が笑う。箸を持った手で口元を隠して。
「あのヤスヒコ君が、ですか? 本当に?」
「そりゃ、晶ちゃんの前ではいい子かぶりしていたんだよぉ。外に出るとてんでいい子なんだから、まったくまいっちゃうわね」
 土屋が笑った。クラッドも笑っている。榊はとりあえず笑みを浮かべていた。メイは食品サンプルの出来を試すように周囲の会話をサンプリングしていた。
 榊は彼女が何を思っているのか知りたいと思った。噂に聞くように、会話の流れからこの場の心理力学を把握し、必要とあれば会話をコントロールすることができるのだろうか。噂に聞くように、使われなかった言葉から隠された情報を掬い取ることができるのだろうか。
 この歳で。
「ねぇ、晶ちゃん」
 韮山婦人が改まった口調で言う。榊はふと彼女の言葉に注意を戻した。
「‥‥しつこいようだけど、ここを出るつもりはないの?」
「またその話ですか」
「だってねぇ‥‥ここにいたって、このままばあさんになるだけだよ。それも運良く行った時の話なんだし。ヤンさんのこと覚えているでしょ。いいお医者さんだったけど、去年の台風で‥‥」
「そうだな」韮山氏が後を続ける。「ここのいい加減な通信教育でも、ずば抜けていい成績を出せたんだ。外に出ていい仕事につけるさ」
「成績って?」
 榊は何気なく聞く。
「前に一度、TBDJVの採用試験を受けたことがあったのよ。しゃれで」
 土屋は内面からあふれるような笑みを浮かべた。
「それが、向こうも期待していなかったぐらいの好成績だったらしくてね。いきなり現場主任の待遇でどうかって。あれっていろいろプロセサ使う仕事でしょ。それに適性があるとか何とか言われちゃってさ。まぐれよ、まぐれ」
 榊はどう反応したらよいのか迷った。TBDJVの現場仕事は複雑と言ってもたかがしれている。しかし、試験そのものがそれに合わせたものなのだろう。
「もっと上を狙えますよ。きっと」
「そう?そう思う?」うふふ、と笑い声を漏らし、「‥‥でもあたしはそんな欲の持ち合わせは無いのよ。今のままでも十分楽しいし」
 韮山夫人が大袈裟にのけぞってみせる。
「だめよ。そんなこと言ってちゃ。そりゃわたしらが晶ちゃん頃の歳は、まだそんなことを言える時代だったけど、今はあのころより悪いんだよ。ここにいちゃだめだよ。災害だってこわいし、病気だってこわいし」
 韮山氏が夫人をそれとなく肘で小突く。
「ごめんね。お説教なんてしちゃって。言われなくても判っているわよね。晶ちゃんなら」
 土屋はすまなさそうな笑みを浮かべる。
「でも、あたしがここを離れたら、あの子どもたちはどうなるの?今度こそ本当に面倒見る人がいなくなってしまうよ」
「実はな、俺ら時々飯場で話し合っているんだよ」
 韮山氏が答える。
「でな、俺ら二人、そろそろ引退しようかと思ってるんだ。ここじゃめずらしく長生きしすぎたようでな」
「それじゃ二人がここを」
「当然決まっているわけじゃないのよ。ただ、晶ちゃんがここを離れても、後を継ぐ人はちゃんといるってことを知っておいてほしいの。もし晶ちゃんがここに残るって言うのなら、わたしらは別のことをするだけだから」
「俺はいい話だと思うけどな」
 ぼそりとクラッドが漏らす。土屋は聞き漏らさなかった。
「これ、あたしの問題よ。口挟まないで」
「オーケー。悪かった。客が驚いているだろ。落ち着けよ」
「ごめん。でもこれは、ここの生まれじゃないあんたには一生判んないわ」
 榊はメイを盗み見た。
 SPの生まれでない俺には、おまえの考えていることなんて絶対判らないだろうな。
 驚いたことに、メイが振り向いて榊の視線を受け止めた。

'Under Water'
Satoshi Saitou
Create : 1996.06.29
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
Copyright (c) 1996-2010 Satoshi Saitou. All rights reserved.