アンダー・ウォーター
13.

 水口は2つのパッドをグラスファイバーで接続した。片方のパッドはすでに榊との間での通信路が確立されている。この通信路はフラットにある宅内交換機を経由させていない。テラスに取り付けたダイポールアンテナを使っている。
 水口はもう片方のパッドから橿原への直通番号をコールする。橿原が向こうで受話器を持ち上げれば、榊との間の通信路は橿原まで延びることになる。
 この2つのパッドを使った通信路中継を、榊達は〈ブリッジ〉と呼んでいた。この方式の利点は逆探知が困難という点にあった。NTNは水口のいるフラットまでは辿れるが、そこから先は簡単には掴めない。フラットから榊までの通信路が宅内交換機を経由していないからだ。そして、榊は榊で、フラットとの間に少なくともブリッジを1つ置いているはずなので、逆探知は事実上不可能だった。水口は本郷台との間で通信路が確立されていることを逆探知から知っていたが、それは榊が設置した〈ブリッジ〉だった。そこから先は辿れない。
 水口は通信内容を携帯端末へブランチさせた。ただしパッドから〈耳〉への一方行のみで。
『橿原だが‥‥』
『ご無沙汰しています』
『連絡してくると思ったよ。相変わらず絵が無いな』
『クライアントのところからかけているもので‥‥』
 水口はテーブルの上に視線をさまよわせた。昼間した仕事の時のまま、片づけられていない。
 彼女の視線がとあるパッドの上にとまった。昼間エス・エスを走らせたパッドだ。エス・エスは結果を持ち帰っていたが、榊からの依頼やら橿原との応対とでそのままほったらかしになっていた。
 水口は指先でパッドの表面をおさえると、そのまま手元に引き寄せた。
 エス・エスの集めたデータを表示させる。
『‥‥もちろんあのデータの続きはある』
『NTNはいつからデータブローカーになったのです』
『多角経営というやつだよ‥‥』
 水口は〈耳〉に流れる音声を意識の片隅に追いやった。パッドの表示に注意を傾ける。
 エス・エスはやり遂げていた。
 エス・エスの侵入モジュールはイセザキスーパーモールの警備システムに潜り込み、通信ログをつまみ食いしていた。

12:24 YSP/GP宛
『クリスマス・ハウス』店舗前で304発生。
33-3203894331(カシワバラ・メグミ)
30-32243334  (メイファ・リー・サカサキ)

 水口は記憶を辿り、ちりばめられたコードを言葉に翻訳していった。「304」は「誘拐」、「33」は被害者、「30」は通報者を意味する。続く数字は社員番号を意味する。
 水口はパッドを操作してデータメモを起動させた。社員番号の意味を解読するためだ。幾つか蓄えられた覚え書きの中から、社員番号体系についてのメモを表示させる。
 解読はすぐに終わった。
 サカサキは紫水総合流通・人事部養育課に所属していた。YSPに居住している。カシワバラも紫水総合流通の社員ではあるが、どこにも配属されていない。それはカシワバラが誰か社員の家族であることを示していた。
 警備がYSP/GPにこの通信を送った時間は、イセザキスーパーモールで「強盗騒ぎ」が発生した時間帯に一致する。しかし、警備は強盗について何の通信も送っていない。
 奇妙なことではあったが、理由は簡単に説明できた。
 情報操作が行われたのだ。
 この誘拐に対するYSP/GPの警察活動の真の目的を隠蔽するために、強盗事件がでっち上げられたのだ。水口には隠蔽しなくてはならなかった理由までは見当がつかなかったが、何かが隠されているのは確実だった。
 誘拐ともなれば、いかに会社側の意向を尊重するYSPの住人と言えども、事件の行く末を注目するだろう。おまけにそれは白昼堂々イセザキスーパーモール内で発生したのだ。誰もが噂にするだろう。しかし、強盗犯人追跡なら、しかもYSP外部へ逃げてしまった犯人のことなら、その事件への注目は続かない。
 誘拐されたのが誰の家族かは知らないが、YSPとしては誘拐されたことを知られたくなかったのだ。
 彼女、カシワバラ・メグミの情報を引き出せるだろうか。
 水口は眉根を寄せた。
『‥‥クライアントに対して、わたしは秘匿義務を負っている。そのくらいはご承知のはずだ』
 いらだった榊の声。
『もちろんよく知っているさ。済まなかった。忘れてくれ。‥‥ところでアーカイブキーのことだが、それはある子供の身柄と引き換えだ』
『人身売買ですか』
『人聞きが悪いね。身柄の保護だよ。その子は先日YSPから姿を消し‥‥水没帯方面で目撃情報があった。もし君がその子の身柄を保護し、我々に受け渡してくれると契約するなら、キーを与えよう』
『‥‥だめですよ。そんな暇はありません‥‥』
 水口の脳裏で様々な情報が連結しはじめた。イセザキスーパーモールでの誘拐事件。YSP/GPの川崎方面における警察活動。榊からの捜索届けに関する調査。橿原の取引。榊の対応。
 水口は口を押さえ、声が漏れないようにした。
 ドジな明。頭のてっぺんまで浸かっているんだわ。
 まだ榊が事件の全貌を掴んでいないと水口は判断した。そうでなければ「捜索届について」の調査など頼んだりはしないからだ。
 そう、おそらくその子は明の元にいるのだ。明はその子の正体をはっきりと掴んではいない。そして橿原は明がその子の近い場所にいると踏んでいるか、関連した調査に携わっていると考えている。
 水口はその結論に飛びつこうとして躊躇した。検証せずに結論するな。榊の決まり文句だ。なぜなら一旦結論してしまうと、そこから先へ進まなくなる――それも、たいてい間違った所でとどまってしまうからだ。
 水口は自分の考えを改めてみる。おおむね正しそうに思えるが‥‥。そう、カシワバラ・メグミが榊の近くにいない可能性はある。しかし、何らかの形で、彼はその事件に関係している。その程度にとどめておこう。
 明はそのことに気がついているのだろうか。明のことだ、薄々は感づいているはずだ。
『残念だな‥‥君が協力してくれれば、我々だって助力を惜しまないのだが』
『そのお言葉で十分』
 うんざりしたように舌を出す榊の表情が水口の脳裏に浮かんだ。
 女の子は水没地帯にいるのね。水口は思った。それはYSPから川崎へ北上していった警察の動きと符合する。
 明は、彼女をどうするのかしら。
 水口はパッドに東京東部の地図を表示させた。

'Under Water'
Satoshi Saitou
Create : 1996.06.29
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
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