「そんなに深入りするつもりはないわ。それじゃ」
『じゃ』
榊はそっけなく回線を切った。
もうちょっと愛想があってもいいのに。そう思いながら水口は通話記録を表示させた。最近癖になっている。その記録によれば、榊は装着端末を使っていた。
水口はかすかに眉をひそめる。パッドを持っていっていないのかしら。
通話記録によれば、もっとも榊側に近いNTNの基幹交換局は幕張にあった。だいたいあの辺りにいるのか、と水口は一人頷く。
パッドがチャイムを鳴らした。
誰かがこのフラットの宅内交換機にアクセスしたのだ。もっともそれができるのは水口と榊の二人しかいないが。
水口は宅内交換機の動作状況を表示させた。電話は水口にも見覚えがあるIDを持つパッドからかかり、幕張にあるNTN保安部へアクセスしていた。パッドのIDは榊から教えられたプロクシーパッドの一つだった。おそらくパッド間で直接通信をさせてブリッジし、NTNが逆探知できないようにしているだろう。
ちょっとした好奇心がうずいた。
水口は宅内交換機の通話内容をモニタする。
『‥‥残念そうでもない口振りだな』
『とんでもない。ところで、なぜYSP/GPの調査など。そんなことしていましたか』
『教えるわけないだろう。いい勘だとは言っておくが‥‥』
定期的なリサーチではないのか。水口はむっとする。
『‥‥支払いさえそれに見合えば』
『ふん。では、切るぞ』
なぜ、NTNはYSP/GPに興味なんて持ったのだろう。水口はパッドの動作を切り替えながら思った。YSP/GPはなぜNTNの興味を引いたのだろう。
水口は椅子の背によりかかった。
陽は大きく西に傾き、墓標のようなビル群がシルエットとなって茜色の空を切り取っていた。幾つもの船外機のエンジン音が、近く遠く、轟く。東京湾島南拡張区の廃棄物処理場から、住人達が戻ってきたのだ。
榊は西日に焼かれているのを感じながら、屋上の錆で白く曇った手すりによりかかっていた。屋上には榊の他にはメイ以外、誰もいなかった。メイは静かに水路を見下ろしていた。すぐ近くに桟橋がない水路が確保されていて、そこを先ほどからボートが走っていた。彼女はボートが行く様を見ていた。
メイは自発的にここに来たのだった。土屋によれば、毎日の習慣のようになっているということだった。メイが何を思っているのか、榊には解らなかった。彼は少し離れた所に立っているメイの横顔を見つめた。彼女の表情は凍り付いたように静かで、あらゆる詮索をはねつけていた。
どこからか、遠く低く、空気を震わせてヘリのローター音が耳に届いた。榊は反射的に音の出所を探していた。程なくして、南西の空を、夕日を浴びて白く輝く機体が北へ向かって進んでいくのが見つかった。川崎から東京湾岸の廃虚をバイパスして北千住シティエアターミナルへ向かう旅客ヘリだった。
メイがヘリを見つめていた。
「気になるか」
メイはゆっくりと榊の方を振り返った。
「あれは東京湾島から北千住への直行便だ。どの系列保安部のものでもない」
メイは榊を凝視していたが、ついと目を下に向けると、くすんだピンクのジャンプスカートの裾を手で払った。前髪がぱらぱらと顔にかかる。小さい手。体格に比べて大きな頭。頭を上げると、均整よくまとまった目鼻立ちをした少女の顔立ちがのぞく。幼い。
「わたし、ここに来るつもりはなかったの」
メイはそっけなく言った。
「土屋さんは君が毎日この時間になると屋上に出ると言っていたけどね」
メイの口元が歪む。嫌な笑いかただと榊は思う。メイは腕を上げると南を指差した。
「わたし、ほんとはあそこに行くつもりだったの」
榊は彼女が指した方を見る。建物が邪魔で見えないが、南には東京湾島がある。
「東京湾島かい」
「そんなに遠くない」
「この近所に知り合いがいたのかい」
「それよりは遠いわ」
榊は戸惑った。そこには海しかない。メイの表情は固く、ふざけているようには見えない。
「そこに行ってどうするつもりだったんだい」
「何も」
榊にはそれが何を意味するのか判った。
「なんだってそんなことを‥‥」
答えはなかった。榊も期待してはいなかった。それでも榊は訊ねずにはいられなかった。
「なぜだい」
メイは榊を凝視していた。その口元がかすかに動く。しかし、すぐに口は固く閉じられる。
榊はメイを見つめていた。
「下に行こうか」
メイが頷き、榊はなぜかほっとした。