アンダー・ウォーター
12.

 部屋は暗がりに沈んでいた。ダイニングテーブルの上に並んだパッドのディスプレイからの光が唯一の照明だった。パッドの前に座る水口の顔を青白い光が照らしていた。
 パッドはいつものようにクラスター構成をとっていた。ネットワークにはすでに急襲/強奪ユニットをパラレルで解き放っている。このユニットは全く無関係のネットワークをダミーとして、標的となるデータベースへ侵入を図る。侵入シーケンスはアンダーグラウンドで進化と洗練を繰り返してきた結晶のようなプログラムが実行した。
 それでもこのユニットの成功率は7割だ。もし失敗すれば、ユニットが残すログを手早く解読し対抗策を練らなければならない。必要が無くなり次第、ログは消さなければならない。それは侵入者をたどる手がかりとなるからだ。
 操作制御用のパッドには急襲/強奪ユニットの動作状況が表示されていた。ユニットはYSPネットワークと直接のアクセス経路を持つネットワークに散らばっていた。もし水口に視聴覚インターフェースを利用することができたなら、YSPネットワークの象徴である青いダイヤのアイコンを取り囲むユニットの黄色い鏃を見ることができただろう。
 ユニットはこれから一斉にデータベースをアクセスする手筈になっていた。侵入口となるのはTYISPとの連絡用アカウントや他のSPネットワークとの連絡用プロトコル、そして何らかの手段で外部に漏れたYSP住人の個人用アカウントなど。
 強襲ユニットがアクセスを開始する。
 電話のベルが鳴った。水口の身体がびくりと反応する。彼女は通話用にとっておいたパッドを引き寄せ、宅内交換機とつなぐ。
「はい。水口ですが」
 答えながら、目はリアルタイムで表示されるユニットの状況を追っている。
「橿原だ。榊はいないのか」
「先ほどそうお答えしたと思いましたが」
 わずかに応答が遅れた。水口の鼓動が速まる。
「‥‥では、君なんだな」
「何がですか」
 水口にはその答えで精一杯だった。
「こちらでYSPへの不可解なアクセスの増加を検出した。侵入プログラムを周辺のネットワーク上で検知していたので警戒していたのだよ。逆探知もできていた。彼にしてはずいぶん雑なやり方だと思っていたのだが、君だったのだな」
「わたしには‥‥」
「だめだ。君のところと侵入プログラム群の間で通信が行われていることはこちらでも把握している」
「捕まえるのですか」
「もし、このまま本当に侵入し、データを不正にアクセスしたらな」
 水口はその言葉の意味を拾おうとした。指先は操作制御用パッドに伸び、行動停止指示を送っている。
「‥‥ご親切に忠告して下さったわけですね」
 橿原は短く笑った。
「そうでもあり、そうではない。我々は今入手した記録をYSP/IPに渡すことができる。計算機不正使用未遂、自律複製電算譜取締違反。いずれも軽い刑で済まされるものではない」
 水口は頭に血が昇るのを抑えることができなかった。
「要点は、なんでしょうか」
「その仕事は榊に依頼されたものか」
「お答えしなければなりませんか」
「別に構わないがね」
「本当のことを答えるとお思いですか」
「答えた方がよいな。即答願いたいね」
 水口は躊躇した。NTNはいつだって本気だ。榊の言葉が脳裏をよぎる。
「答えればYSP/IPへは‥‥」
「苦情が出ない限り積極的に取り締まる必要もない、ということかな。我々は警察ではないのでね」
 じゃあ一体何様なのさ。カメラがないので水口は思いっきり顔をしかめた。いいようにわたしらを小突き回して。
「データリサーチの練習よ」
「狙いは」
「‥‥25から32までの独身男性警官の一覧。顔写真と、もちろん年収も」
「君の趣味か」
「そんなとこね」
「面白い冗談だが、聞きたいのは真実でね」
「なぜ冗談だと?」
「大袈裟すぎるんだよ。荒っぽいのは差し引いても、あの方法だと警官のリストどころか3代前までの履歴書が引き出せるな」
「なお結構じゃない」
「水口君」
 橿原に君付けで呼ばれるのはぞっとしなかった。
「子供の捜索願いのリストよ。なぜかは説明されなかったわ」
「それで結構。今のが計算機不正使用未遂の分だな。もう一つ。榊はどこにいる」
「しらないわよ」
 くそったれ、という言葉を水口は飲み込む。橿原からの答えはしばらく待たされた。
「それで納得するしかなさそうだな。‥‥では、水口君、榊にプレゼントがある。アーカイブのキーを君に預けよう。彼に渡してくれ」
「わたしが見てしまったら」
「別に構わん。言っておくが、情報は粗く加工してある。預たのは君たちということになっているから念のため。では」
 回線は切れた。
「くそったれ」
 水口はパッドに怒鳴りつけた。髪を荒々しくかき上げる。通話が終わったパッドはデータを受領したことを伝えていた。サイズは288オクテット。

「それを橿原が送ってきたんだな」
 榊は念を押した。暑く、重たい空気が包み込むように流れていた。暑さは屋内と変わらなかったが、風を感じれるだけ、屋上はましだった。
『ええ。どうする。裏を取る?』
「YSPネットをつつきまわすのはもうやめておけ。NTNに監視されているんだよ」
『わたし何も言わなかったわ』
「そのことを疑っちゃいないさ。連中だって勘をきかしたんだろう」
『どうする』
 榊は南西の方角に視線を走らせる。巨大な雲塊が西から東京湾へと張り出し、その底がぼんやりと白く明るい。YSPの灯りがその下にある。雲の中で稲妻が光った。巨大な行灯。
 水口がいるのはあの向うか。
 榊はぼんやりと思った。
「橿原が渡したのは昨日までのYSP/GPの動きなんだな」
『4日前から昨日までのね。YSP/GPの紫水部隊が北の方へ活動圏が移動している。ヘリを飛ばしたり、いろいろやっているみたいね』
「目的みたいのは判るか」
『判るわけないじゃない』
 それをやるのがデータリサーチャーだぜ、と榊は言いそうになる。だが、それを水口に言っては薮を突ついて蛇を出すことになりかねない。水口にはまだ微妙すぎる調査だ。
「俺が頼んだ調査は」
『割り込まれたおかげで止めたわ。続けようか』
「いや、止めてよかった。最良の判断だ」
 へへへ、と回線の向うで水口が笑った。暗がりの中で榊は屋上の錆びた手すりに用心深くよりかかり、苦笑した。
「裕子」南の空で、また白くぼんやりと光った。「また頼み事があるんだが」
『何?』
「橿原に連絡を取って、アーカイブに仕込んだデータの続きがあるかどうかを聞き出して欲しい」
『やっぱりNTNがらみに首をつっこんでいたのね』
「違う」
『ねぇ、なんでそう、隠したがるわけ。わたしはパートナーでしょう。そりゃ、まだ未熟な見習いだけどさ。それとも、何かの飾りのつもり?YSPの連中と会う時のアクセサリー?それでなければ、わたしのことは全っ然信頼していないってことよね。さもなきゃ‥‥』
 榊は〈耳〉を引き抜いた。
 気持ちはわかるがね。
「だまれ」
 榊は言った。
「今はまり込んでいるのは、個人的なもので仕事じゃないんだ。金は入らない。詳しいことはこの回線じゃだめだ。盗聴されてると考えろ」
 榊は〈耳〉をはめ直した。
『‥‥ボランティアってこと?そんなに殊勝な人だとは知らなかったわ』
「話すならオフネットだが‥‥。だめだな、しばらく事情を教えることはできない」
『どうして』
「監視を振り払ってここに来ることができないだろう」
『そうやって、また‥‥』
「怒るな。俺だって無理だ」
『‥‥大切な仕事なの?』
「ああ。断れなかった」
『‥‥判ったわ。橿原に取り次ぐ‥‥でもきっとタダじゃないわよ』
「だろうな。頼むよ。じゃ」
『バイ』
 回線が切れた。
 タダじゃないだろうさ。榊は思った。代償はたぶん‥‥。
「独り言は終わったかい」
 後ろから呼びかけられ、ぎょっとして榊は振り向いた。屋内への戸口の前に、クラッドがシルエットになって立っていた。
「屋上で独り言を言いっぱなしなんて、あんまりいい傾向じゃないな」
「ほっとけ」
 榊は手すりから離れ、クラッドの方に歩き出した。
 まったくあんたらは呑気だよ。榊は思った。こっちは崖っぷちを歩いている気分だ。
「あんたの寝床を用意しといたよ」
「世話になるね」
「構わないさ。ただ働きさせてるんだ」
 榊が屋内に入ろうとしたとき、視野の隅で何かが動いた。はっとしてそちらに目をやると暗い夜空の中を、明滅する赤い航行灯が北へ向かって動いていた。
 榊はしばらくその灯をみつめていた。
「なにかあったか」
 榊はゆっくりとクラッドの方に向き直った。
「いや、なんでもない」
 代償は高くつくはずだ。
 榊には判っていた。

'Under Water'
Satoshi Saitou
Create : 1996.06.29
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
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