帰りしな、チャンはHQの広域警備管制室に誘った。来客向けの観光コースがあるのだという。興味がないわけではない。それに、どのみち今日はこのまま帰るしかないだろう。いや、タエコに知らせてやるべきか。なんにしても急ぐ用事では無い。
広域警備管制室は東日本の各主要都市部をカバーしているJC支社の各警備管制情報を統括して処理する能力があるのだという。しかし、そうした使われ方をするのは稀で、普段は横浜市における警備管制情報を処理している。
「結局、ただ情報量を求めても意味はないということなんですよ」
チャンはガラス越しに管制室を見下ろしながら説明していた。来客向け観光コースは正面に巨大なパネルのある部屋を後ろから見下ろす形で設置されている。コンソールの列が何列も並び、大勢のオペレーターがパネルに向き合う形で席についている。
「情報の解像度、と呼ぶ人もいますが、要は、エンドラインでのキャパシティがネックになりましてね」
「受け取るだけ無駄になるということですか」
「当たり前の話ですけどね。この部屋のキャパシティとして日本JC全体の警備情報を管制することが可能なんですが、オペレーター群の能力がそれに追いつかない」
「うちのハンドラーも同時に扱えるのは2人か3人だと言っていたことがあります」
「パラメディックの現場管理は複雑ですからそんなものでしょう。警備も似たようなところがあります。‥‥ただ、限界があるとはいえ、ここに集まっている情報が我々にとっての現実であるのも確かです」
唐突で、言葉の意味を掴みかねた。
「我々の処理能力に限界があるにしても、ここに集められる情報と同じスケールで物事を見られる人はいません。そういう意味での現実ですよ。カッコ付きの〈現実〉」
「‥‥なるほど?」
「今、うちは面白い試みをしていましてね」張は秘密めかして微笑む。「クワン、横浜駅連絡通路の群集監視を中央パネルに出せるか」
思わず振り向くが、そこには誰もいない。管制室の中にいる誰かに話し掛けたようだった。
「‥‥柊さん、あの大型パネルを見ていてください」
パネルには横浜市のシルエットに様様なアイコンがオーバーラップしている映像が映されていたが、それが切り替わった。どこかの平面図が映される。
「横浜駅の東西自由通路のモデル図です」チャンは説明した。「幾つもの円が移動していますね。あの円一つ一つが、4人から5人を表しています」
「群衆監視ですか。でも、円一つが4人から5人というのは‥‥移動してますよね、あの円」
「グループというわけではないですよ。あれは群集の移動傾向を示しているだけです。ただし、リアルタイムではありません。10分先の予測です」
説明の続きを待った。
「元警官なら、群集警備の難しさはご存知でしょう」
「‥‥適切な誘導に、暴動の予防、事故防止、危険要素の検出」
「そして、目の前で起きている事態の把握、だそうですよ。経験を積んだ警官でも、警備地域が広くなれば全容を把握することは困難になります。誰だってそうでしょう。知覚の限界です。しかしこれを使えば」
「群集の移動傾向は解る。‥‥10分では事態の急変に対応するのには余裕が足りないようにも思いますが。まぁ、こちらの警備はそれで十分なのでしょうが」
「まだテスト段階でしてね。できれば20分まで伸ばしたい。ただ、これも天気予報と同じところがあるそうで」
「先になるほど外れるわけですか」
「どのみち不確定要素は常にあります。人の行動は予測不可能な部分がありますから。もっとも、それが技術的に不可能なのか、それとも原理的に不可能なのか、その点には議論の余地がありますけどね」
「決定論と非決定論ですか? なんだか楽しそうなプロジェクトですね」
「遊びじゃありませんよ。我々は大真面目です」
チャンは苦笑している。
「できればAPARECには間に合わせたいんですが‥‥」
「会場警備に使うんですか」
「可能なら、と言いたいところですが、信頼性の評価も済まさずには使えないでしょう。通常の要人警備システムを使うことになるでしょうね。‥‥クワン、もういいぞ。ありがとう」
パネルの表示が横浜市のシルエットに戻る。
「要人警備システム、ですか。それはどういうものなんですか。機械機動警備みたいに聞こえますが」
そう訊いたのは元警官としての純粋な好奇心からだった。
「見かけは今お見せしたものと似ています。というより、あなたもよくご存知のシステムですよ」
「どういう意味ですか」
「セルシウスと同じ、個人監視ですよ。そちらと同じインフラを使うんです。ご存知ありませんでしたか。先ほどの群集行動予測も基盤は同じです」
初耳だった。そんなこと、今まで気にもかけなかったのだから。
「言われてみれば、もっともな話ですね」
「パラメディックも警備もパーソナルセキュリティという点では同じ。扱う領域が違うだけでね。‥‥そして、だからこそ我々はあなた方の件に関心があるんです」
「わたしたちの件?」
「ミスコールが要人警備の場面で起きたら、どうなります」
虚を突かれた思いがした。
「‥‥しかし、そちらではまだ起きていないんですよね」
「今のところは」