偽装
13.

 夜を走る。
 いつもの夜。ナイフのような風。冴えた街灯の光。冷えたテールランプ。
 ペダルを踏みつづける身体の芯だけが熱い。
『01より209、定時連絡』
「こちら209。16号、吉野町3、左折」
 ペダルがアスファルトに触れるまで自転車をバンクさせる。十字路出口でペダル漕ぎを再開する。
 警備事業部の視線を感じる。あのドローンを通して見ているはずだ。ボディスーツは高断熱機能を持っているといっても、過剰な熱は積極的に排出する。冷え切った街を背景に、明るく輝いて見えるだろう。
 鏑木はどこで接触するつもりだろうか。いつ接触するつもりだろうか。
 マンションと店舗ビルの混在する街。住人の戻った部屋からはオレンジ色の灯りがもれていた。ビルの谷間から見上げると、ぼんやりと白い夜の雲が目に入る。
 睦橋交差点で赤信号に捕まる。風防をあげ、外気を直接吸い込む。肺を切り裂かれるような感じがするが、それほど悪くはない。体温がなかなか下がらないからだ。スーツのホメオスタシスがうまく働いていないのかもしれない。体幹温度を下げるため、深く息を吐く。
 甲高いモーター音を残して2台の車が競うように目の前を横切っていった。腹に食い込もうとするランバーバックのベルト位置を直す。歩行者用信号が明滅をはじめた。風防を下ろす。
 信号が青に変わる。
 ゆっくりと、左右に目をやってから交差点に入る。夜間は運転の荒い人が増える。信号の変わった直後なら平気で交差点に飛び込む車が稀にあった。路上にいる時間の多いパラメディックは自動車事故に巻き込まれる率が高い職業に属している。保険事業部がまとめた統計だから間違いないだろう。彼らが自腹を切ってまとめた統計だ。
『01より209、定時連絡』
「こちら209。16号、狩場線通過」
 定時連絡を求められる間隔がいつもより短い。そういう指示が警備事業部から出ているのだろう。
 首都高狩場線の高架をくぐると街の様子が変わる。西側上り車線側は低層集合住宅が砂色の壁のように道沿いに続く。対して東側下り車線は飲食店やデポットが並ぶ。デポットの種類もバッテリーや水素、アルコールとバリエーションは一通り揃っている。別に計画されたものではないという。横須賀方面から横浜中心市街に流れ込む人々はその殆どが、どうせ休むならもう少し先でと考えるのに対し、これから横須賀方面に向かう人々はここで十分な休養と補給を行っておきたいと考えるから――とかいうまことしやかな説をタエコから聞かされた。
 交差点手前で道を折れる。この先にある交差点は交通制御が複雑で信号待ちが長い。店を閉じて灯の落ちた喫茶店とレストランの間を抜けて川沿いの道に。歩道に上がって歩行者用信号のデマンドスイッチを押す。川の向こう、薄明るい夜空を背景に山谷から根岸にかけての小高い丘陵部が黒い塊となって横たわる。灯りは丘陵の上にしか見えない。傾斜が急すぎて丘の途中に何も建てられてはいないからだ。羽田から南下する航空機の赤い灯りが空高く移動する。
『01より209、定時連絡』
「こちら209。中村橋通過。一通を石川町方面」
 昔からの狭く不規則に蛇行する道。見通しは悪い。ゆるい坂をのぼる。道の両側には時代を感じさせる軽量鉄骨造りのアパートが幾棟も残っていた。ヨコハマにもまだこういう場所がある。
 鏑木はいつ出てくる。あまり気を持たせないで欲しい。
 街灯の少ない道。小さなハロゲンライトが路上を照らす。うっかりすると眠りに引き込まれそうになる。人の気配が全く消えた夜の住宅地はどこか現実感が薄い。電信柱まで残っていて、見知らぬ世界に迷い込んだような気分になる。
 路地の蔭に男が佇む。
 それが鏑木だと認識するまでしばらくかかった。通り過ぎる寸前でフルブレーキ。ロックした後輪が左右に揺れた。
「209より01、目標接触」
『01より209、了解』
 自転車を降りる。鏑木は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「物騒だよこの道は。この時間」
「刑事がいるなら平気よ」
「警察官だからと言って安心はできないぞ」
 冗談だろうか。鏑木の表情からは読みにくかった。
「‥‥それで、要件は」
「そちらの技術者に渡りをつけられないでしょうか」
「どういう意味」
「ちょっと調べ事がありまして」」
「正式に社に申し込めば」
 鏑木の口元が堅く結ばれた。思いつめたように言葉を押し出す。
「いや、それはできないんです。ちょっと‥‥いろいろと手間がかかるんで」
「表ざたに出来ないということですか? 警察の方から内密にということであれば、社の方もそれなりに配慮するのではないかと思いますが」
「それならばいいんですが‥‥いえ、やはりそれでは」
「技術者なら誰でもいいんですか?」
「そういうわけでもなくて‥‥通信関係なんですよ」
「鏑木さん、どういう事情なのかは解りませんが、やはり社の方へ直接言ってもらえませんか」
「駄目ですか」
 鏑木はうつむく。足元を睨みつけているように見える。
『こちらHQ。209、彼の要求を飲んでくれないか』
 聞きなれないコールサインで混乱する。HQは警備管制本部だ。
「‥‥鏑木さん。どうしても、その、個人的なものでないと駄目なんですか」
「ええ。そうです。今はまだ、あまり。公なものにできる状態ではないんですよ」
 ゆっくりと顔を上げる。微苦笑が浮かんでいた。
「捜査上の都合、というやつです」
「解ります」
 刑事としての捜査経験はないが、どういう事に出くわすかという話は聞いている。国が違えど、警官は警官だろう。しかし、捜査上の都合上、公にできない捜査協力を民間に頼むというのは異例――というより、異常だ。だが、今は彼に話をあわせなければならないだろう。
「‥‥実を言えば、まるでツテが無いわけじゃないんです。ただ、向こうにも立場とかありますし」
「仮にそちらの会社で公になったとしても、マズイ立場に立たされるのは私です。そちらにご迷惑はかからないでしょう」
 どこまで本当なのか解るはずもない。いや、それを言えばお互い様だが。
「なんとかなると思いますよ」
 鏑木の顔が明るくなった。
「本当ですか」
 鏑木が1歩、2歩と近づく。聞きなれた破裂音が4つ続いた。目の前で鏑木の胸から血が吹き出す。膝から崩れ落ちそうになるところを咄嗟に腕を伸ばし、彼の右腕を掴む。鏑木の目は見開かれていた。驚愕の表情。さらに破裂音が2つ続く。頭を殴られたような衝撃。意識が薄れかけながら、必死になって鏑木をゆるやかに横たえることだけに集中する。胸を赤く濡らした鏑木を抱きしめるようにして路上に倒れこむ。アスファルトは氷のようだった。鏑木が咳き込む。その口から血があふれた。口の角で赤い泡になる。
 その頃には状況を把握できている。
「209より01、現在地点で銃撃。銃撃。被害者は右胸部に銃創。射出孔を確認。緊急。A出場要求。大至急Aをここによこして。大至急!」
『01より209、A5出場済み。そちらの画が途絶している。209は無事か』
「こちら209。無事だ」
 鏑木から身を離し、更なる銃撃におびえながら身を起こす。銃撃は無い。ランバーバックのバックルをはずし、コンパクトに筒状に丸めたセルフインフレーションマットを取り出してその栓を開ける。マットは勝手に空気を吸い込み、伸びていった。
 鏑木を転がしてマットの上に。出血が多い。
「しっかりして鏑木さん。うちのアンビュが急行中。寒いのは撃たれたショックのせいです」
 バックからさらに自律呼吸補助マスクを取り出し、鏑木の顔にかぶせる。首の後ろに手を入れて、顎を上げた。鏑木の耳元で怒鳴る。
「気管送管します」
 マスクからパイプが伸びていく。パイプの先端にはセンサがついていて、自動的に気道を確保する。マスクの脇にあるドレン孔から血が吹き出した。気管にたまっている血を吸い上げ、排出している。バックからO2パックを取り出しマスクのアタッチメントに取り付けた。
「209より01、被害者にマスク装着。センサ出力は」
『01より209、そちらとの通信状況は悪い。拾えていない』
 ヘルメットを撃たれた時に装置が壊れたのだろう。
 バックから断熱フォイルを取り出し、鏑木の身体を覆う。無いよりはましだ。
 鏑木の目がこちらを見る。手が動いていた。思わずその手を掴む。彼の手の中に何かがあった。血まみれになった小さな何か。それをバックに放り込む。たぶんフォイルに付いていたタグだ。
「大丈夫。救急センタに運び込まれて、そのまま休暇を取れますよ。たぶん肺は交換ですね」
 鏑木は微笑んだようだった。そのまま目を閉じる。呼吸は続いていた。ドレンから排出される血の量は減っていたが、まだ続いている。
 人が撃たれた。目の前で。なんて夜だ。

'Camouflage'
Satoshi Saitou
Create : 2002.10.02
Publish: 2011.01.27
Edition: 2
Copyright (c) 2002-2011 Satoshi Saitou. All rights reserved.