偽装
6.

 街中で刑事に事件のことで話し掛けられる機会というのはあまりない。安手のストリームオペラだったらそろそろ身の回りに変死体が2つ3つ転がり、不審人物がうろつきはじめる頃だろう。それも山下公園とか港の見える丘公園や外人墓地といった、記号的に解りやすいロケーションでだ。富士見町PS勤務というのは、その点便利な設定かもしれない。おまけにエリアパラメディックは死体に遭遇しやすい職業でもある。
 しかし今、自転車で走っているのはストリームではなくストリートであり、出くわすのは急病人や怪我人、循環器系疾患による解りやすい急死体、もしかすると事故死体、ひょっとすると自殺体。警官時代には何度か目にしたが、エリアパラメディックに転職してから犯罪性を思わせる死体に出くわしたことは未だ無い。
 川向こうに京急の高架を見ながら港方面に向かって走る。黄金町から日ノ出町。不法駐車の列、不法住居者のシェルターが道沿いに連なる。そして呼ばれる。
『01から209、コール』
 心持ちペダルを踏む足をゆるめる。
『――野毛町1丁目30付近。現場付近で車輌対人事故通報あり。衝撃記録あり、クライアントからの応答なし。現認願います』
 頭の中の地図を読む。
「209より01、了解。これより宮川橋を渡ります。信号制御願います」
 橋を渡った向こうは宮川町。野毛町はその先、車通りの多い道の向こう側になる。
『01より209、信号介入済み。加害者より救急要請あり。A6を投入。消防救急抑制』
 背中のバッグが急に重く感じる。蘇生活動が必要になるだろう。
 橋の手前。右手から顔を出した車輌の鼻先を掠めるように左折。大きくバンクさせて。背中のバッグは三点保持で身体に固定されていて、激しく機動させてもバランスは崩れない。
 左手をハンドルから離し、掌を開いて橋にさしかかろうとする対向車に向かって突き出す。その時はすでに自転車はセンターラインを越えていた。驚いて速度を落とした対向車の目の前を横切り、そのまま橋向こうの川沿いの道へ。対向車のドライバーに親指を立てて去る。
 狭い道。歩行者が数人。車は無し。道路の先は交差点で、その信号は赤。管制の手際に問題がなければもうじき青に変わる。
「209より01、都橋交差点が近い」
『01から209、把握している。速度そのまま』
 言ってくれる。エンジンを積んでいるわけじゃない。
 交差点に近づくと信号が青に変わる。車の往来が途絶えた。ペダルを踏む足に力がこもる。

 被害者はコミュータバイクに乗っていた。路地と路地の交差点での出会い頭の接触事故。衝突した車のボンネットを転がり路上に落下、脳震盪を起こして気絶。最近認知度が高い耐熱耐ショック素材を使ったジャケットを着ていたことと、双方速度を出していなかったことが幸いし、大きな出血はなかった。ただし、右手首に痛みを訴えていたことと、脳神経系を含む内臓へのダメージが不明なので中央病院への搬送が決まった。A6には宇都木が乗り込んでおり、彼とA6が怪我人を引き継ぐ。
 できればA6に同乗してサポートしたかったが、加害者側もうちの保険に加入しているようで、こういうケースでは保険屋の相手をしなければならない。J&C保険事業部の本体、健康保険部に所属する調査員の相手だ。警察に訊いてくれと思うのだが、事故直後では相手にしてもらえないらしい。そこら辺の空気は解らないでもない。
 送られてきた調査員は朴だった。年嵩の女性で、昔、香港の火災保険会社で調査員を務めていたが出産を機に引退し、それから10数年経って現場復帰したのだとかいう話を聞いたことがある。面と向かって確かめたことは無いが、言われてみれば、という印象は受ける。バイタリティが洪水を起こしそうだ。
 朴は掌大のデータパッドを使ってメモを書き込んでいく。
「じゃあ、大きな外傷はなかったのね。――打撲はあった?」
 朴は愛想がいい。ソフトで威圧感がない。
「腹部にあざがあった。膝にもね。たぶんバイクのハンドルで打ったんだと思う。到着時にあお向けだったから、背中を打ってる可能性はある」
「麻痺は」
「それはなかったわ。運動はあったし、感覚もあった。発見時はね」
「右手首がどうこうっていうのは」
「腫れてるのよ。ボンネットの上をすべるか、転がるかして反対側に落ちたとき、身体を支えようとしたんだと思う」
 朴は眉をひそめた。
「じゃあ、折れてるかも」
「痛みが激しいらしいので、ちゃんと確認はしていないけど、可能性は強いと思うわ。どっちにしろ病院はレントゲン撮るでしょう」
「もちろん。これは予備調査だから」そう言ってパッドをジャケットのポケットに落とした。「それにしても妙な話よね。――思わない? 加害者も被害者もうちの保険に加入していて、結局、金を払うのはウチなんだから」
「どっちもクライアントだと、そうね、時々そう思うときがあるわ」
「奇妙とは言っても――もっとも、今回はちゃんと怪我人がいただけまともなケースではあるわよね」
 胸を突かれた思いがして、朴の顔を見つめる。朴はにやりと笑り、声をひそめる。
「そんな顔しないで。調査部にも例の話は降りて来てるのよ」
「そちらが調査しているんですか」
「調べてるのは警備の方よ。こっちには話だけ」
「どういう話が」
「エルシウス(ERCIWS:救急呼情報監視システム)がクランに利用されているって」
「そんな話は――」
 そこで口をつぐんだ。この会話も管制はモニタリングしているはずだ。しかし、朴はそんなことには頓着しない。
「キングズコートに呼ばれたパラメディックがいると聞いたけど、もしかして、あなたね」
 ただ肩をすくめる。
「気をつけたほうがいいって聞いてるわよ。警察はクランとJCの共犯を疑っている――少なくとも口実を見つけようとしているらしいから」
「それで何を気をつけたらいいんだか」
「ま、それもそうね」
 その時、今まで事故現場で検分していた警官がこちらに声をかけてきた。ずいぶん若い。
「JCさん。こっちの用事は済みましたから。あとはこの人の保険やってあげて」
 朴は向こうに振り返った。
「はい。すみません」そしてこちらに向き直り、「確かに具体的には何もいえないけど、とにかく気をつけた方がいいわよ。それじゃ。仕事だわ」
「なんとなく飲み込めてきたわ。ありがと」
「いいのよ」
 朴はいい残して憔悴した様子の加害者の方へ歩いていった。
「209より01。処理終了。巡回復帰」
『01了解』
 管制は今の会話を聞いていたはずだ。しかし、割り込んでくることはなかった。身内だから放っておいたのだろうか。
「01――」
『01より209、何か』
「今の調査部員との話は聞いていた?」
『01より209、悪いがこのラインは世間話をするためのものじゃない』
「‥‥209了解」
 管制は情報的な座敷牢に押し込むつもりらしい。あるいは朴の話が全く信憑性を欠くものであり、放っておいても事実確認で否定できるようなものだったか、だ。ただ、クランなどの犯罪組織に利用されたというシナリオはありそうな話だった。鏑木の件ともつじつまが合う。
 地面に放り出してあったバックを拾う。バックはアイスピローとして使えそうなほどに冷えていた。その冷たい塊を背中に背負い、ストラップを調整して位置を直す。そして自転車を起こし、氷のようなサドルにまたがった。レッカーが到着していた。フロントが潰れ、廃車状態のコミュータバイクを回収するのだろう。その横では朴と加害者が話しこんでいる。警察は撤収をはじめていた。
 ペダルを踏み込む。いつになく重い。そんな感じがする。

'Camouflage'
Satoshi Saitou
Create : 2002.10.02
Publish: 2011.01.27
Edition: 2
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