偽装
3.

 日本ジョンソン・アンド・カニンガム(JC)地域警備保障健康保険の横浜支社は臨海区にある。パシフィコ横浜にほど近い、キングズコートの中にある。コートというが、実際には五階層を持つパンケーキ状の建物だ。表からはただのっぺらな壁しか見えないが、上空から見れば幾つも窪みがあることがわかるはずだ。穴の開いたチーズのように見えるだろう。
 JCはこの中に総務・経理部門などのバックオフィスと、警備事業部の作戦本部と指揮機関を置いていた。対して保険事業部のパラメディック管理部門や管制本部は星川の自社ビルに収容している。ここには無い。パラメディックはよそ者だ。
 受け付けは4階にある。
 エレベーターホールと受付のあるエントランスロビーの境界にはゲートがあった。ゲートには小さなカメラが埋め込まれている。たぶん顔面識別用だろう。
 案の定、見知らぬ受付嬢は言った。
「お待ちしておりました、柊様」
 フロアは黒い模造大理石のパネルが張られ、ゴム底が音をたてる。受付嬢はうやうやしく頭を下げた。ロボットのようだ。――ロボットなのかもしれない。顔を上げたその目をつい見つめてしまう。人間の目は常に微動するが、そこまで模倣するロボットは少ない。
 受付嬢は一瞬目をそらしたが、すぐにこちらの目をぴたりと見据えた。
「柊です。わたしのことで何か聞いてますか」
「はい。第4応接室でお待ちください」
「どこにあるんです」
 応接室なんて縁が無い。受付嬢はにこやかに右手で廊下を示した。
「そちらの奥にございます」
「ありがと」
 受付嬢は微笑みながら頭を軽く下げる。その間も瞳はこちらを見つづける。ロボットだ。
 だが、まぁ、別に珍しくはない。
 示された廊下に入る。左側はオフィススペースと区切るついたてになっている。天井との間に隙間が開いていて、中の物音が漏れていた。右側は天井まで通った壁で、絵画のような長方形の焼き物が5つほど等間隔に架けられている。趣味がいい、のかもしれない。もしかしたらこのスペースだけでわたしの年収を超えているのかもしれないが、判断のしようもない。
 扉の前を幾つか通りすぎる。応接室が並んでいた。先へ行くほど数字が進む。第4応接室は一番奥だろう。突き当たりには非常口の扉があり、その脇では自動販売機が照明のように明るい。扉には第4応接室とあった。
 ノックするが応えはない。先に入って待っていろということなのだろう。
 中は名ばかりの応接室だった。摸造革張のソファとガラステーブル。奥の壁際あるマガジンラックには茶色に変色したペーパーフィルムが一枚ささっていた。以前は何か映していたのかもしれないが、今は機能を止めている。大きな窓越しに、数あるこの建物の窪みの一つ――吹き抜けを見下ろすことができた。南向きの窓で日当たりが良いが、熱線反射コートされているらしい。まぶしいが寒々しい。
 しかし、これが一介のパラメディックには分なのだろう。単に部屋を取れなかったに違いない。応接室ぐらいしか空いていなかったのだろう。
 ノックも無く扉が開いた。男が入ってくる。
 チノパンに紺のデニムシャツ。襟足からのびるワイヤが耳にはめたイヤホンに伸びている。アジア系。35歳前後。
「やあ、どうも。お待たせしました」
 腰を浮かせて、頭を下げる。それくらいの習慣は身に付けた。
「チャンです。‥‥どうぞ、おかけになって」
 チャンは向かいのソファに腰を下ろした。ネームカードをテーブルの上に置き、こちらへ滑らした。わたしはそんなもの持ち合わせてはいなかったが、名指しで呼んだのだから、出すまでもないだろう。
 ネームカードには張寿煥とあった。横浜HQ・COO秘書室所属。
「自転車ですか‥‥寒かったでしょう」
「アンダー着てますから。それほどでも」
「その袖から見えているのがそれですか」
 何を話したいのか解らなかった。機能性無織布を使ったアンダースーツは警備事業部でもあたりまえのように使っている。知っていて当然のはずだ。
 顔に出たらしい。チャンは微苦笑した。
「無駄話はお嫌いなようですね。ま、手短に済ませましょう」そう言って、チノパンのポケットから小さな黒いキューブを取り出してテーブルに置いた。「バグです。これからの会話は、記録しなければなりません」
「すでに監視されていると思いましたが」
「そこまでパラノイアではないですよ――いや、会話までは記録しないので」
「ここに呼ばれた理由を訊いてもいいんでしょうか」
「もちろん。そうしなければ話も聞けませんから。‥‥大した話じゃないんですよ。5日前の深夜――というか4日前の早朝ですが、ミスコールがあった。覚えてますか」
「ミスコール?」
「高砂町です」
 思い出した。コールを出したクライアントが見当たらなかった件だ。
「‥‥覚えています」
「その時のことを供述してもらいたいんです」
「聴視覚記録があると思いますが」
「それでは受け付けてもらえなくてね」
「なんのために話さなければならないんでしょうか。別に話すのは構いませんよ。もちろん」
 チャンの目が一瞬宙を泳いだ。何かに気を取られたようだった。
「警察に提出するよう求められていましてね。つまり、証言です」
「事件だったんですか、あれ」
「そこが警察も教えてはくれないもので。何か事件に関係しているらしい、です。それくらいで納得してもらえませんか」
「何もなかったんですが、まぁ、それを話せというなら」
「お願いします」
 チャンはキューブに触れた。
「――2018年1月12日。記録者、張寿煥。日本ジョンソン・アンド・カニンガム横浜支社保険事業部救急本部所属、1級パラメディック、柊葵へのインタビュー」
「声だけの記録で構わないんですか」
「記録はこの部屋がします。映像つきでね。これはスイッチなんですよ。どうぞ――」
「そのコールがあったとき、わたしは富士見中前を南に走っていました」
 しかし、何を話せというのだ。何もなかった。順を追って何もなかったことを話す。印象に残っているのはただ寒かったこと。ひたすら寒かった。おまけに何もなかった。
「――以上です」
「ふむ」
 当然だが、チャンは特に感心した様子もなく、キューブに指を伸ばした。
「これで記録は終わった。この記録は警察に提出されますが、あなたの経歴には影響ありません」
「それも記録されているんですか」
 チャンはにやりと笑う。
「お望みならあなたがこの部屋に入ってから出て行くまでの記録のコピーをお渡しできますよ」
「じゃあ、なぜスイッチを」
「品質が違うんですよ。法廷で使える映像記録品質規格というのがありましてね。‥‥ところで、この件で警察があなたのところに顔を出すかもしれませんが、うちを通すように言ってください」
 ふと気になり訊き返す。
「通さなければ、どうなります」
 チャンの表情が硬くなった。
「まぁ、この件でどうこういう話にはならないと思いますが、警察があなたに直接嫌疑をかけるような事態となった場合、我々としては力になれません」
 そして破顔する。
「うちで持っている記録と今のインタビューを見てどうこう思うようなら、いよいよ引導を渡してやらんといかんでしょうね」
 元警官の身としては答えようもなかった。同感ではあったが。

'Camouflage'
Satoshi Saitou
Create : 2002.10.02
Publish: 2011.01.27
Edition: 2
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