偽装
16.

 薄汚れた部屋だが整頓されていた。というより物がない。ダイニングキッチンらしき部屋だ。わたしが彼女くらいの歳だったころに持っていたようなものがここには無い。強いて言えば奥にあるウォークイン・クローゼット‥‥しかし、もとはただの物置で、天井に張った補強材にハンガーをかけているだけのようだ。風呂、トイレ、寝室はクローゼットの向こうにあるのだろうか。生活に化粧しているような様子が無い。ただ住んでいるだけのような雰囲気。もしかしたら奥にあるかもしれない寝室はまるで違うのかもしれないが。
「それで‥‥何を聞きたいの」
 苛立った声。わたしは少女に向き直る。彼女は小さなコンロ台の前にある丸椅子に腰掛けていた。コートは脱いでいる。茶色のセーターに紺のスカート。もしかしたら彼女は最初受けた印象よりずっと若いのかもしれない。その服装を見て思う。化粧はしていない。スキンプロテクションも使っていないのだろう。素材だけで光っている。若いということは、それだけで羨むべきものなのかもしれない。
「この人を知っているかしら‥‥いえ、その前に自己紹介した方がいいかしら」
 わたしは鏑木の顔がプリントされた紙片を渡す。少女は手を伸ばして受け取った。まじまじと見る。
「名前を聞いても意味が無いわ。それよりも、あなたと、その写真の男との関係は」
「知り合いよ」
「どういう意味で」
「クライアントとサービサー、ていうところね。わたしはパラメディックよ。この人が撃たれた時、わたしが担当した」
 それだけではないが、必要最小限のことは伝えている。少女は皮肉気な笑みを浮かべた。
「それで、なぜここに」
「この人が撃たれた時、紙切れを預かったのよ」
「この人‥‥『この人』ね。名前は知らない?」
「鏑木、と聞いているわよ」
「その鏑木さん、の職業は」
「警察関係者。‥‥鏑木さんが撃たれたときわたしに紙切れを渡した。そこにはここの地番が記されていた。あなた、鏑木さんを知っているのよね」
「あなたがパラメディックだという証拠は何かあるの? サングラスは?」
「プライベートで仕事道具は使わない。持ってきているけど、かけましょうか」
「その、鏑木という人が撃たれたのは、いつなんです」
「4日前の夜よ。もう、いいかしら」
「何が」
「そろそろこちらも質問して構わないかしら」
 少女は微笑む。
「悪いけど、帰ってもらえませんか」
「なんで」
「話すことなんてないからよ」
「鏑木という人は警察関係者だけど、その警察もこの人の行動を知らないようだった。でもわたしは警察とは関係ない。わたしは、ただ、わたしの知り合いがなぜ撃たれたのかを知りたいだけ」
「そう」少女は目を伏せる。何事か考えているようだが、やがて口を開いた。「とにかく帰って。スタンガンのトリガを引く前に」
「名前くらいは教えてもらえないのかしら」
「気絶させて階段から蹴落としてもいいのよ」
 とりつくしまがない。引き際だ。
「解ったわ。お邪魔しました」
「力になれなくて済みませんでしたね」
 わたしは苦笑する。可愛げの無い娘だ。事務所なのか、彼女の住居なのか、とにかくその部屋を後にしようと出口に向かう。少女がわたしの背中に声をかける。
「ねえ、その鏑木さん、ていう人、無事なの?」
「撃たれた時、鏑木さんは防弾チョッキを着ていなかったわ。‥‥それじゃ」
 わたしは部屋を出た。取引は失敗した。何も与えてくれるつもりが無いのなら、こちらから与える義理もない。
 しかし、いずれ、教えてもらう。
 階段を降りきったところで振り返った。部屋の窓にこちらを伺っている影を見たような気がしたけれど、窓には鉛色の空が映り込んでいてはっきりとはしない。
 来た時と同じ倉庫の側を辿り、舗装道路に戻った。シチューのにおいはまだ漂っている。
 彼女は何人分を作っていたのだろう。ふとそんなことが気になった。一人分なのか、それとも二人分? シチューを一食分作るのは面倒だ。あるいは作りおきしているのか。それにしても、シチューを火にかけたままどこに出かけていたのだろう。
 自転車を起こし、冷えたサドルに跨ると、ペダルを踏み込んだ。ふと見上げると、湾岸高速の上空に一機のドローンが浮かんでいた。そのカメラはこちらを向いているように見える。
 HQは監視しているのだろうか。それとも、あのドローンのルーチンワークなのだろうか。
 自転車に跨り、しばらく冷たい風を感じている。ドローンは北へ流れていった。
 ドローンがあの娘を監視していたのだとして、それはなぜだろうか。なぜHQは監視しているのだろうか。そして、それは誰のためだろうか。

'Camouflage'
Satoshi Saitou
Create : 2002.10.02
Publish: 2011.01.27
Edition: 2
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