平戸は拘留期限前に保釈されることになった。終わってみればまだ1週間も経っていないが、ひどく長く感じる。
平戸が出てくる朝、非番の者が集まって出迎えに行くことになった。非番といっても富士見PSにはそれほどパラメディックがいるわけではない。それに当直明けの人間までかりだすのは忍びなかった。そんなわけで、たまたま、結局、桜とわたし、それに宇津木が戸部署に出向いた。
大抵のところなら自転車を使うところだが、平戸の自転車を持っていくのが面倒なので、地下鉄元町を使った。
戸部署は戸部駅のすぐ近くにある。この辺りは横浜駅とMM21とのだいたい中間あたりに位置していた。MM21の開発の余波を受け、この辺りは東側からじわじわと再開発が進んでいたが最近は一段落している。モダンなオフィス-マンションコンプレックスの裏側では、昔からの景観が生き残っていた。薄黒くくすんだ鉄筋コンクリートの建物、日に焼けて退色著しい元は原色鮮やかであっただろう看板。比較的新しいタイル張りのマンション。さすがに電柱は姿を消しているが。
戸部署についたとき、まだ平戸はいなかった。弁護士を通してわたしたちが出迎えに行くことは平戸に伝えてあるから行き違いにはなっていないはずだ。平戸署の敷地に入ったところの植え込みの前で三人、佇むことになった。そう待たされはしないだろう。警察の気が変わらない限り。
「ここに来て気が変わるなんてことはないよね」
と桜。わたしは驚いて彼女を見つめる。考えが読まれたような感じだ。
「何が。警察が? それはないだろうな」
宇津木が答える。含み笑いを浮かべていた。
「何か聞いてるの」
「ハンドラの方からちょっとね。おとといの夜に警察が派手に押し込んだらしい」
「おとといの夜って、富岡SPの連中が総出でフル回転していたっていうあれのこと」
宇津木は頷く。
「クランのベッドを襲ったものの、逆襲されて負傷者多数。そこにうちの警備部が応援で駆け付けてベッドを制圧。警察のほうは富岡SPが総出で治療と。で、その一部始終を記録していたらしい」
笑える話だ。
「それで平戸の保釈が早まった?」
「それはないな」
わたしは口に出していた。2人が驚いたようにこちらを見る。ばつの悪さを覚えながらわたしは続けた。
「たぶん、単なる証拠不十分というところじゃないかな」
「‥‥元警官が言うならそうなのかねえ」
「桜、それじゃまるで平戸が本当に押し入ったみたいじゃない」
「それもそうか」
3人して声を抑えて笑う。何かに気付いて宇津木が顔を上げた。
「出てきたぜ。おでむかえといくか」
わたしは横浜の街を走る。JCエリアパラメディックの標準装備であるサングラスを通して、JCの監視システムが人の目線で街を見ている。そのわたしも上空の監視ドローンや街頭に設置された監視カメラに見られている。
人の目に寄らない視線が蜘蛛の巣のように街を絡めとっている。わたしはその中を走る。
横浜工高の前を通り抜け、横浜文化体育館の裏を走り抜ける。そのまま16号のペデストリアンデッキへのランプを登る。いつものルート。横浜駅の複合駅ビルまで視線をさえぎるものは何もない。都会の中の開けた空間。
ただこの場所に難があるとすれば、開けているだけあって、冬は風が厳しいことか。
ランプを上がったところで自転車を止める。手袋を取り、ジャケットの裾の下から手を中にいれ、お腹のあたりであたためる。両手はまるで氷だった。手袋はものを握る関係で生地が薄い。断熱層を挟み込んでいるといっても、手袋そのものはジャケットに比べれば冷えやすかった。一旦冷えてしまえば断熱層も何も関係ない。
街灯の柱に寄りかかり、デッキを歩く人の流れを眺める。サングラス越しに。サングラス越しに見ているわたしと、サングラスを通して観ている彼らの意図は異なる。だが、それを気にしたところでどうにもならない。ただ見ているだけなのだから。どのみち、誰かしらの視線を受けないわけにはいかない。見られるのが嫌なら、誰もいないところへ行くしかない。
次第に指先の感覚が戻る。むくんだような感じがする。
手を外に出し、二度三度、握り、開くことを繰り返す。いつまでも休んではいられない。身体が冷えてしまう。
「柊さん」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。そちらに振り返ると、鏑木がいた。いつもの、曖昧な微笑を浮かべている。
「どうも、お世話になりました」
軽く頭を下げてから、こちらに歩み寄る。
「いつ退院されたんです」
「おとといです。そのときにご挨拶に伺うつもりだったんですが、いろいろとありまして」
「別にいいんですよ。こちらは仕事でしたし」
「いや、命の恩人ですよ」
「今回は、たまたまそうだっただけでしょう」
「貸しにしておくと?」
わたしは笑った。いや、そういうつもりじゃない。
「違いますよ。たまたまそういうめぐりあわせ‥‥そういうエンだったということですよ」
「妙な言葉を知ってますね」
「使い方、間違ってますか」
「いいえ」鏑木は足元に目線を落とし、微笑む。「助けてもらった人にこんなことを聞くのもなんなんですが、彼らはどうなりました」
「彼ら?」
「会われたのではないんですか? 空き地の真ん中に取り残されたような倉庫で」
わたしはサングラスのつるを叩く。
「もう隠すようなことじゃなくなりましたよ。少なくともJCに対しては」鏑木は小さく首を振った。「そちらが取り込んだのでしょう?」
「正直言って、わたしも知りません」
鏑木が怪訝そうに見返す。
「2人は警備事業部預かりになったのです。もともとわたしの職分を外れてますしね」
「ああ、なるほど、確かにね」
「今ならもう話せるのでしょう」
「何をです」
「なぜ、あの2人を?」
鏑木は困惑したようだった。視線をそらす。
「公安部とそちらの警備部で一悶着あったそうですね。上のほうで緘口令が出ているようなんですが、そんな話が流れてきました。事実ですか」
わたしは頷く。
「なんでこんなことになったんだか。‥‥ちょっと前から、あるクランの活動が県内で活発になっていたんです。うちの所轄でもそれに関連していろいろあって。調べてみると、どうも公的な組織から資金が流れているらしかったんです。で、嗅ぎまわっているうちにあの2人にね」
「その、公的な組織の見当は」
「ついてました」淡々と答える。「連絡のつけ方とか、資金の渡し方とかいった手口に覚えがありまして。ちょっと信じられなかったですけどね。ま、そんなところです」
「放っておけば撃たれることはなかったかも」
「そうかもしれませんね。しかし、クランをみすみすのさばらすわけにもいかないでしょう。目的は手段を正当化したりはしませんよ。その目的だって、妥当なものかどうか」
最後に言ったことがどこまで本心なのかは判りかねた。サングラスが生きているのだから。
「わたしが聞いていることといえば、2人は無事に保護されたということぐらいです」
自転車のハンドルに手をかけた。そろそろ潮時だ。仕事中であることだし。
「2人に会いたいのですか?」
「いや、違います。ただ、2人の消息を知らないと、目覚めが悪くて」
「無事ですよ。とりあえずはね」
「ま、いつまでも突っ張りきれるものでもなかったでしょうしね」
サドルに跨る。
「鏑木さん。そろそろ仕事に戻らないといけないので」
「ああ、長々と呼び止めてしまって済みません」
「それじゃ」
「縁があれば、いずれ、また」
わたしはペダルを踏み込む。少し走って肩越しに振り向くと、鏑木の姿はもう見えなかった。
──縁があれば、いずれ、また。
鏑木の最後の言葉を繰り返す。ペダルを踏む脚に力を込めた。自転車は速度を増していく。
いずれまた、会うことがあるかもしれない。
そんな予感がした。視野の隅に監視ドローンの影を認めたが、なぜか気にはならなかった。