まだ日は短い。時計では夕刻でも、空は夜空だった。晴れてはいるが、星は見えない。空に明るいのはビルの屋上に並ぶライトアップされた看板だけだ。
官庁街を走る。通りは帰宅につく役人たちの群れであふれる。自転車も多い。葉の落ちた銀杏並木の枝越しに小さく、揺れながら空を移動するものが目に入った。
監視ドローンだった。軍用の無人偵察機から発展した、限定的な知性を持つ飛行ロボットで、軍や警察が導入している国は多い。横浜では人口密集地を中心に常時50程度のドローンが運用されていると聞いたことがある。太陽電池を使ったバッテリーステーションがあちこちにあり、故障しないかぎりドローンは人の手に戻らない。勝手に充電し、勝手に飛んでいく。
あのドローンが監視しているものについては見当もつかない。ドローンそのものは知性を持たされているとはいっても、意識があるわけではない。ある種のパターンに反応するらしいが、基本的にドローンはただ見ているだけだ。監視しているのはその背後にいる人間のオペレータの仕事になる。
今もあの警備管制室のどこかで、自分を観察しているオペレータがいるのだろうか。
自転車をゆっくりと進める。駅へ流れる人たちの声が穏やかな背景雑音となる。スタジアムを取り囲む公園では、ラーメンの屋台を収めたワゴン車が停まっている。ワゴン車の屋根にはフラット型の衛星アンテナが載っていて、立ち喰いに並ぶ客達の啓蒙に使われているらしい。BBCのロゴがちらりと見えた。
JRと平行に伸びるペデストリアンデッキが近づく。デッキに上がって、そのまま石川町から自宅へ帰ってしまおうか、それとも富士見PSに戻ってタエコと話をしようか迷う。結局、平戸のことでは目新しいことは大してわからなかった。中途半端な情報を伝えても、かえって心配させるだけだろう。とはいえ、これで戻らなければ、さらに勘ぐるようになるかもしれない。放っておけばいい、と思わなくもない。張に会って知った内容は電話でも間に合う。
後ろでブレーキシューが鳴った。振り向くとうちのパラメディックがいた。JCのロゴが入ったヘルメットとウィンドブレーカーを身に付けている。いつものサングラスをかけていて誰かわからない。
「なにちんたらしてんの」
桜だった。
「今、シフトの終わり?」
「そうよ。呼び出される前にPSに戻るところ。なんでこんなとこ走ってるの」
「ちょっといろいろと」
ふと見上げると、ドローンは線路の上の南北に開けた空間をふらふらと漂っている。視線を桜に戻すと、怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
富士見PSに戻ることに決めた。
「PSまで付き合うわ」
「なんで」
「タエコにちょっと用がね」
桜は自転車を進めて隣に並ぶ。そのさらに向こうを車が通り抜けた。このあたりは管制制御されるはずだが、それでも危ない。
「先を走って」
「置いてかれてもしらないよ」
「追突されないようにしてね」
桜は笑うとペダルを力強く踏み込んだ。断続的にせよ8時間走っているはずだが、桜の脚は健在だった。腿の太さは伊達ではない。女性のパラメディックにコミュータスクーターを使う率が多いのは体力の問題ではない。
ペデストリアンデッキとJRの高架橋をくぐり、首都高を越える。このあたりは不老町で、イセザキモールからはだいぶ南に来ている。このあたりはマンションの1階部分に店舗の入った建物が多い。道もすぐ近くを通る国道や県道に比べると狭く、一方通行や袋小路もある。知らないと走れない場所だ。
文化体育館に差し掛かったところで桜は歩道にあがり、そこで停まった。追突しそうになる。体育館前の広場では試合か何かで集まっていたらしいお揃いのウィンドブレーカーに身を包んだ子供の集団が騒いでいた。引率者らしい大人が2人、なにやら指示しているようだがあまり効果はでていない。駅からマンションへと帰宅する人が数人、邪魔くさそうな目線をよこしながら脇をすり抜けていった。
「どうしたの」
桜はこちらを振り返り、にやりと笑うと自転車を降りた。自転車を街路樹にたてかける。
「ちょっと休憩させて」
PSは目と鼻の先だというのに妙なことを言うと思いながら自転車を降りた。ただ、ハンドルは放さない。身体を止めると寒さを感じる。
「キングズコートに行ったでしょう」
桜が訊いた。
「誰に聞いたの」
口にしてから苦笑する。聞くまでもない。そういう組織に勤めているのだから。
「流していたら知り合いの保険調査員に会って、そういう話がね。誰とは言わなかったけど。タエコに用事がある、っていうなら、きっとそうでしょうってね」
「いい勘してるわ」
「平戸のことで?」
答えに迷う。全てを話してはいけないような気がする。
「そうよ」
「奴、何やったの」
「何をやったというわけではなさそうよ」
「でも、捕まったんでしょう」
「任意同行で、容疑が固まっているわけではなさそうね。‥‥まぁ、そういう話をタエコに伝えようと思っていたのよ」
「タエコに? 彼女に頼まれたの?」
「平戸のことを耳にして、ちょっとPSに顔を出したのよ。そこでね」
気配を感じた。つい振り向くと、交差点の角からワゴン車の後ろ部分がのぞいていた。窓には黒いスモークシールドが張られている。あんなワゴン車をどこかで見なかったか? 覚えは無いが。
「どうかした?」
「なんでない」
思い過ごしだろう。監視しているのだとしたら、近すぎる。しかし。
「どうせならPSで話すわよ。ちょっと寒いわ」
「熱あるんじゃないの」
「平気よ。タエコも待ってると思うし、戻りましょう」
「解ったわ」
桜は自転車に跨る。子供の集団はようやく駅に向かって移動をはじめたようだ。しかしそこに秩序があるようには見えない。その向こう、茜色から暗い紺色へと沈み始めた空に例のドローンが浮遊していた。そのつもりなれば、あのドローンはいたるところで目にとまる。
桜がペダルを踏む。その後を追う。そしてドローンも追っているだろう。視線が背中に張り付いているような気がする。