■ナンシー・クレスはあるアイディアを実現する技術ディテールよりは、社会的な理想、あるいは思想を描くことに興味があるのだろうと思う。文庫本表紙絵のサイバーな雰囲気は本文からは感じられず、描かれているのは読者の現在と地続きの至近未来社会だ。
夢のような技術的ブレークスルーは存在しているが、その技術は夢のような社会をもたらしてはいない。技術は社会にインパクトを与えているが、そのインパクトは功罪相半ば、どちらかと言えばあまり良い扱われ方をしていない。その技術観は作者自身の経験が反映されているのだろうと思う。
短編集『ベガーズ・イン・スペイン』の表題作は、舞台は終始アメリカで、いつスペインに移動するのかと思ったが、このフレーズは作中で使われるたとえ話のことだった。遺伝子改変により生まれた無眠人と、ナチュラルな有眠人との間の軋轢、というのはおなじみの構造。この短編の中では、両者の間の軋轢が徐々に高まっていく過程を背景として、一見「利他的」として見える行動の「利己的」体系との整合性が図られる。要するに「情けは人のためならず」ということで、社会的ストレスが高まっていく中でも発揮される利他的行動にフォーカスがあてられる。
作品としては軋轢がピークに向かう中で主人公が希望を見出す所で終っていて、なんとなく肩透かしの感があるけれど、解説によれば、ちゃんと長編が書かれているとのこと。ただ、あんまり希望に満ちた楽天的なものではないような雰囲気。クレスってもしかして意地が悪いのか。
意地が悪いというよりは、徹底的なリアリストなのかもしれない。『眠る犬』は『ベガーズ・イン・スペイン』と同じ背景、同じ時代を舞台にした変奏曲のような作品で、描かれる主人公の有眠人は言ってしまえば「ベガーズ」だ。
テクノロジーのもたらす暗い側面を描きながらも、社会に磨り潰されそうになる主人公に希望を語らせる。社会を一変させることはできないという冷徹な現状認識を持ちながらも、僅かながらも変化させることはできる。
この、見方によっては蟷螂の斧のような自己認識は、共同幻想を地で行くエイリアンを描いた『密告者』でも描かれることになる。
「空気を読む」ことが過剰に求められるこのエイリアン社会は、ぶっちゃけ日本社会のカリカチュアなんじゃないかとも思えるのだけど、その中にあって主人公は「あえて空気を読まない」道を選択する。それはエイリアンの社会の中にあって、「エイリアン」になる道であるのだけど、決して否定的な扱いではない。それは「主体性」を取り戻す行為であり、作者がそこに価値を見出しているであろうことは最後のフレーズから読み取ることができる。
この短編集の中で一風変わった作品が『ケイシーの帝国』で、結構痛い作品。痛いままで終るのかと思いきや、というオチが待っているんですが、こういうテーマは他の作家も作品にしています。印象的だったものを引き合いに出すとイアン・ワトスンの『二〇八〇年ワールドコン・レポート』あたりか。プロットというか落とし方は全く逆ですけど。
他には『戦争と芸術』『思い出に祈りを』『ダンシング・オン・エア』。『ダンシング・オン・エア』は『90年代SF傑作選[下]』に収録されているそうで、だとすると一度は読んでいるはずなんだけど、覚えてないなあ。遺伝子改変による肉体改造という選択肢を肯定的にも否定的にも倒しきらずに描いていて、こうした形でのテクノロジーの扱い方はかなり現実的な姿だと思います。
しかし、なんで今になってこの人の本がぼこぼこと出てくるようになったのでしょうか。