■『老ヴォールの惑星』『時砂の王』の小川一水短編集。表題作『フリーランチの時代』『Live me Me.』『Slowlife in Starship』『千歳の坂も』『アルワラの潮の音』の5作を収録。なんか、微妙に雑だなあと感じるのは歳のせいか。
『老ヴォールの惑星』の各短編を読んだときに、いい話なんだけど、設定に大きな抜けがあって、固ゆでになりきれてないような印象を受けていた。ハイティーン向けならそれでもいいのかなあと思いつつ、なんとなく残念な読後感が残ったのも確かなことだった。
『フリーランチの時代』もなんとなく微妙な感じがあるのだけど、新しい作品になるにつれてだんだんと自分にも読みやすくなってきている印象があった。作者がうまくなったとかではなく、たぶん、作者も歳をとってきているということなんじゃないかと思う。
表題作『フリーランチの時代』は、利用できるリソースが無限大になったら何の不足もないよ、という‥‥そりゃそうだよ。これでどういうオチになるのかと思ったら何のひねりもないのだった。
『Live me Me.』はラストに致命的と思われる欠点がある。作中で触れられているレベルでのマクロ処理の積み重ねと自意識の解決には、まだへだたりが大きいはず。この話、三人称だったらイーガンみたいな嫌な話になっただろうと思う。「人間らしさ」が問題になるのは、自分自身というより、他人についてだからだ。
『Slowlife in Starship』は先だって小惑星イトカワにタッチダウンしたハヤブサをネタにしたキャッチーな作品だけど、別にそのことが話のコアになっているわけではなく、結局社会的引きこもりが社会性に目覚めるという話で‥‥なんだこのオチ。ヴァーリイは遠くになりにけり。『Live me Me.』もそうなんだけど、「人間性の不変」を前提にしてしまっているあたりが弱さになっているのだと思う。
『千歳の坂も』はメトセラもの。正直なところ、老人について書けているとは思えない。若い姿のまま歳をとらない『スカイ・クロラ』のようなスタイルなら良かったのではないのか。不老不死処置を拒否する老人が登場するのだけど、その描写がえらく若々しいのだ。たぶん、「たとえ永遠を生きることとなっても、昨日と今日は違う」なんて押井語録の励ましは、この老人には必要ないだろう。哲学めいた話にもできただろうに、そちらには落とさず、とにかく薄くて軽いのだ。
『アルワラの潮の音』は長編『時砂の王』の周辺作品。これは普通に面白い。民俗学とか比較文化学あたりの薀蓄がいやみなまでに盛り込まれても良かったんじゃないのか。ただまあ、なんてあら捜しするようですけど、やっぱり人物像が妙に薄いところがあるような気はする。特にヒロイン。
文庫本の帯には「心優しき人類の変容を描く」なんてあるんだけど、『千歳の坂』が特徴的だと思うのですが、姿は変わるかもしれないけれど、人間性は変容しないことを前提にしています。何か哲学的な背景があって、あえて人間性の不変を念頭に置いているわけでもなさそうで、単純に現代人のメンタリティをそのまま流用しているような印象があります。たぶん、このセル塗りっぽい表紙絵で手に取る層にはその方が読みやすい、ということもあるのでしょう。