■梨木香歩本。根底にあるテーマやそこここに顔を出すモチーフ、技法は過去の作品で馴染みがあるものの、物語としてはずいぶん難産だったのではないかと、勝手に想像した。『家守綺譚』で愉しませて頂いた連作短編としてのソリッドな印象や、『村田エフィンディ滞土録』のファンタジーとアクチュアリティをうまくないまぜにして見せた丁寧さはやや後退して、ずいぶん荒っぽい印象が残った。それでもとにかく着地させてしまうのはすごい。
冒頭に、母系伝来のぬか床というのがでてきて、これが呻くという。
ああ、『からくりからくさ』とか反射的に思ってしまうわけですが、このぬか床、呻くだけならまだしも、子供が出てきたり、お化けのようなものが出てきたりして、途端にモダンホラーな色彩に。このぬか床の持ち主は心臓麻痺で亡くなっているというエピソードまで着くのですが、そりゃお化けが出てくりゃ心臓も止まるだろう、ろくに驚きもしない主人公はそれはそれで驚異じゃないか、とか思ったり。
先祖伝来のぬか床からいろいろなものが出てくるというモチーフは解り易い。しかし、物語は解り易いところに落ちてはいかず、粘菌や自家生殖の生物で構成される社会の描写がでてきて、どこかSFっぽくもなっていく。でも、ぬか床から人が出てくるというエピソードと酵母類のエピソードではリアリティのレベルが違いすぎるというか、ちょっと乱暴な気がします。
我々の住む社会で、個体、つまり、わたしとあなたときみとぼくとその他大勢はそれぞれ独立した意識を持ち、自分と他者を当たり前のように識別しています。赤ん坊の時は自分と他者の区別が付いていないという話を聞いたことがありますが、いい大人ともなれば区別しているわけです。
しかし、その「わたし」と「あなた」の識別が厳しくなっていくと、そこに対立が生まれる、いや、それこそが対立の源ではないのか、というのが前作のエッセイ『ぐるりのこと』だったわけで、『沼地の‥‥』は『ぐるりのこと』を意識した作品なのだということに気付きます。
ただ、物語は、テーマそのものとは別に広がりすぎてしまったようにも感じます。作中、気ままにアパートの中を移動する粘菌が登場しますが、物語もその粘菌に似て融通無碍に形を変え、だいぶ作者を困らせたのではないでしょうか。幾つかの伏線が唐突な回収のされ方をしていたり、あるいは伏線もなく説明されたり。今までのソリッドな作風とは少し違って荒々しい印象が残りました。もしかしたら形を変え、改めて物語られるのかもしれない、などと思いました。