■著者はギャラリストであるから、このタイトルは発表当初は幾分自虐的な意味合いがこめられていたのだろう。ただ、高騰を続けるアートのセカンダリーマーケットについてはアーティスト自身も不安を感じていた部分があったようだから(クローズアップ現代,No2657「日本を主張せよ~アーティスト 村上隆~」,2008/11/11)、危険と解っていても降りることができないという自己認識がこのタイトルに反映されていたのだろう。この本を購入したのは横浜トリエンナーレの会場でだったのだけど、その直後に発生した金融不安により、本のタイトルは現実のものになった。
市場相場は縮退して、2006年のレベルまで後退したということなのだけど、このグラフを見る限りは2007~2008年にかけて上昇する相場そのものが異常で、単に普通に戻っただけという感じもするし、グラフのカーブが立ち上がった2002年相当まで落ち込んでも不思議ではなさそうに思う。
ただ、本書はそうした投機としての現代アートを扱っているのではなくて、(当時膨れ上がっている真っ最中だった)現代アート市場の中で働いているギャラリストの仕事振りを描いている。
全体として3章からなり、1章では現代アートの変遷、2章でビジネスとしてのアートマーケットを描き、3章で現代アートの楽しみ方、接し方について触れている。意地の悪い読み方をすれば、美術館ではなく画廊(ギャラリー)の新規顧客開拓のために書かれた、ということも言えなくはないだろうけど、文章はずっとニュートラルで、確かに自身のギャラリーや扱っている作家への言及はあるものの、たぶん、現代アートに接する人の裾野が広がれば自ずとギャラリーの客も増えるだろうぐらいの捉え方をしているように思う。
それに、現代アート作品を個人が美術館から購入することはまずありえないのだから、ギャラリーというものそのもののシステムを紹介するのは現代アート作品を保有してみたいと思う人には面白いと思う。
何せ、自分だってギャラリーの人っていったら『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)の藤田しか知らなかったし、あれはそもそもフィクションだし。
すでにバブルは崩壊し、マーケットが縮小していく中にある状況では、本書に登場する派手なギャラリストの姿は早くも古びてしまったのだろう。ただ、アートバブルが発生したのは今回に限った話ではないし、これからも起こることだろう。
ただ、バブルになろうがなるまいが、作品に向き合ったときに感じる印象が変わるわけでもない。今は古典的な絵画も作成された時代においては全てが現代アートだった。ただ、人の求めるもの、表現したいものが時代と共に変化していて、それが「現代アート」という評価の定まらないカテゴリーの中で流通を続けている。
ただ、自分にとってはほいほいと購入できる価格ではないので、ギャラリーにはちょっと入りにくいんですよね。絶対冷やかしにしかならないから。