■適度な人の紐帯がある〈どこかの町〉の〈どこかの食堂〉。そこはどこの町でもあり、同時にどこの町でもない。「月船町」と名付けられてはいるが、その名に格別な意味はない。帯や裏表紙の紹介文には「懐かしい町」とあるが、懐かしさは感じない。存在感の薄れた町の姿は、しかし居心地は良い穏やかな空気に満ちている。
いかにもクラフト・エヴィング的な、リアリティの薄い世界はファンタジーの世界だが、そこで語られることの核心は、自分という存在の拠りどころだ。世界を識れば識るほど〈わたし〉という存在は世界の中へ拡散していく。あるいは、一時期盛んに語られた〈ネット人格〉、様々なレイヤーの中でスイッチされるペルソナが、その数を増やしていく中で、どれが生の自分なのか解らなくなる現象と言い換えても良いかもしれない。
しかし、どれだけ自分が世界に拡散しようと、無数のペルソナを身に着けようとも、自分が自分として在ることは揺るがない。しかし、その自分とは何なのか。あるいはその自分に価値はあるのか。
このテーマはクラフト・エヴィング名義の別の長編『クラウド・コレクター』でも語られていたことだ。その根源的な問いかけに対するゴルディアス的な回答がなされないのも同じ。いや、別に意表を突くような回答など不要なのだ、なぜならその答えは…。
つむじ風は突然現れ、一時あたりのものを巻き上げ、消えていく。人間という存在はそのようなものなのかもしれない。
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