■なんか聞いたことあるタイトルだな、と手にとった。ディックに関係ありそでなさそな、どことなく連想させるところもあるけれど、概ね違う。ディック作品を原作にした映画の方が近いかもしれない。思い返してみるとけっこうひでえ話で、冒頭のエピソードは筒井康孝の「関節話法」を連想させる。冒頭の調子でずっととばすのかと思ったのだけど、そういうわけでもなくて、だんだんとトーンは落ちる。ご都合主義的な展開が続くけど、のっけのシーケンスで「そういう話ではない」ことはわかっているので、まあ、いいかなと。ディックなら同じ展開でくそ真面目に書き飛ばすのだろうけど、スコルジーはネジをゆるめたまま突っ走る。カバー絵は映画「ブレードランナー」のビジュアルを彷彿とさせるのだけど、全然まったく完璧にそういう話じゃない。
強引に「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とひっかけて言うなら、「電気羊」に登場するレイチェル-ネクサス6は人間性から一つ欠けた存在を象徴していた。共感能力や感情移入能力に欠けるネクサス6たちは、人間に限りなく近いが人間ではなかった。それに対して「夢の羊」に登場するアンドロイドは別にそんなのどうだっていいとばかりに作品の末尾を飾る。実際のところ「俺は俺らしくあればいい」という言葉は現実的だが、もちろんそれ以前の話としてそもそも「そういう話じゃない」
いい調子で話が進み、出だしは昼行燈っぽい印象のあった主人公は次第にそのタフガイっぷりが明らかになってくる。だんだんとミリタリっぽい色が強くなってくるのはスコルジーのお得意とするところか。
帯に「ディックに捧ぐ」とあるのでちょっと構えて読んだのだけど、別段ディックぽいわけではなく、やたらと小ネタの効いたガジェットてんこもりなところがそれっぽいか。ただ、作中、とある宗教が出てくるのだけど、その由来はさすがに笑った。もちろんその元ネタは「ヴァリス」あたりだ。