■名古屋で暮らしている地域の中に古いお寺がある。正直、ちょっとやれた感じもあって、ぱっとしないといえば、ぱっとしないかもしれない。ただ、境内を通り抜けるご近所の方々の中には、きちんと一礼する方もいて、信仰の色はまだ薄れていないことを感じさせるお寺さんでもある。信仰センターというほど大規模ではないものの、コミュニティの中心として機能してきたことは間違いなさそうだ。
節分は豆まきの儀式ぐらいしか知らなかったのだけど、このお寺では夜店が立つ。駅からの帰り道の途中にあるから、まあ、自然と立ち寄るわけですが、人の多いこと。もともとさほど広くない道路の両側に屋台が並び、さらに狭くなった道に普段はどこにいるんだと思うほどの大勢が詰め込まれている。
映画とかの絵的には夏祭りが連想される景色なんですが、立春直前とは言え、まだ暖かい日は遠い。夏祭りは夏祭りで屋台が並んだのですが、これほどの人出はなかった。
写真は節分ではなく、おおみそかの景色なんですが、まあ、節分の朝も似たような雰囲気です。左側に見えるのが拝殿。尾張四観音の一つなのだそうです。そうした古刹が郊外の住宅地の中に溶け込むようにあるというのが、ここの地域形成のこなれ具合を思わせます。
自分は横浜の近代に入ってから形成された郊外育ちだから、こういう場所は珍しいのです。横浜も古い下町からスライドした地域では残っているのかな。
普段は訪れる人がそう多くなさそうなお寺なんですが、節分会となるとだいぶ違うみたいで、ちょっとびっくりしたわけです。今は、なぜ節分にあのお寺に夜店が並び、人が集まったのかを知っているのですが、しかし、地元の信仰から独立したところにいる自分にはちょっと感覚的に掴めないところがないわけでもない。
ただ、こうした祝祭的な空気というのは、もちろん知らないわけでもなくて、ただ自分の中にある記憶では、それは昔歩いた夏祭りとは結びつかず、どちらかというと例えば去年観た横トリの異化された風景だったりします。
土着の記憶を持たない自分には、普段見流していた景観が異化される夜祭の風景は、日常の中にある見慣れたものを素材に扱う現美の一部のインスタレーションのように見えているように思います。逆に言えば、土着信仰から切り離されて生きている自分の「ハレ」は現美の、例えば横トリのような空間にあるということなのかもしれません。