■アルフォンソ・キュアロン監督の宇宙空間での事故を淡々と描いた映画。空気が抜ければ音が消えるし、泳ぐように無重量空間を移動することはできない。俳優たちが無重量空間にあって動いているようにしか見えなかったのだけど、エンディングクレジットのスタッフにモーションキャプチャーやロトスコープアニメーションのユニット名があることから、CGモデルに俳優の姿をマッピングしたか埋め込んだかしたのだと思う。
ストーリーはシンプルで、オペレーション中に発生したケスラーシンドロームから逃れて地表に降下するまで、1宇宙飛行士(サンドラ・ブロック)の苦闘をフォローしつづける。途中、息抜きのように主人公の過去にまつわるエピソードが差し込まれるものの、基本的にドラマはない。
宇宙開発にまつわるポジティブな要素には触れられず、徹底して生きるのに困難が伴う宇宙空間が描かれる。宇宙では簡単に人が死ぬ。それだけに生還のシーンで描かれる色鮮やかな豊穣な世界が際立ち、現題の'Gravity'の意味がよく伝わってくる。生命感にあふれるラストの景色はそれだけを取り出してしまうとありふれた陳腐なカットになってしまうが、長い真空空間の病者が続いたあとではその価値がわかる。地上にいては対比すべき空間がないから解らないのだ。
危機的な状況を淡々と追い続けるスタイルは「トゥモロー・ワールド」終盤の長回しの戦闘場面とそこからの脱出を撮った演出を彷彿とさせる。登場人物たちは自分たちが置かれている状況を口に出して説明したりすることはしない。情感を抑えた、ストイックなシーンが続く。
ただ、変な場面もいくつかあって、サングラスが全く働かないというのは映画だから仕方ないにしても、スペースシャトルからISSにようやくたどりついた後、ライアン(サンドラ・ブロック)がどうにかISSの構造物につかまり、コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の紐を摑まえる。二人はそれでISSに対して静止するのだけど、なぜかコワルスキーは自分の側のワイヤを外して、再び離れて行ってしまう。地球の重力に引かれているという描写でもなく、なんとも不思議なシーンでした。二人が分かれるのはストーリー上重要なシーケンスなのですが、別のやりかたがあったのではないかと思います。