■久しぶりに映画を観に行ったような。『イングロリアス・バスターズ』。言わずと知れたクエンティン・タランティーノが監督で、ブラッド・ピッドが出演して、という映画。戦争映画なんで観ていて痛いシーンも幾つか。第2次世界大戦中のフランスが舞台で、ユダヤ人狩りを逃れた娘の復讐譚と破壊工作を行うOSSコマンド部隊のプロットが交差する。
ぶっちゃけ、ヒトラーを暗殺してしまうという話なんだけど、たぶん、それを明かしてもネタばれにならないと思う。面白いなあと思ったのは、レイン中尉(ブラビ)率いるOSSコマンド部隊のパートと、ナチから逃れたユダヤ娘(メラニー・ロラン)のパートから構成されていて、クライマックスで2つのプロットは交差するものの、最後まで直接顔を合わせることはない。
ブラビ・パートは「イングロリアス・バスターズ」という名前そのまんまで、戦争犯罪だろそれ、とやりたい放題。
対するロラン・パートはナチ占領下のパリで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」日々を送る映画館オーナーの元に一矢報いる機会が訪れる。
娯楽映画として観たら、たぶんブラビ・パートに痛快さを求めるものなのだろうけど、そちらに痛快さはあまりない。ロラン・パートに登場する「英雄」として祭り上げられた若いドイツ兵のエピソードもそうだけど、彼らは一貫して醜悪な存在として描かれる。ブラピ・パートの持つ意味は、極言すればラストのスティグマを与えるシーンのためだけにあるのだろうと思う。
むしろ痛快なのは、解りやすい構造を持たされたロラン・パートで、こちらは単純な復讐譚として受け入れやすい。
きれいにまとめてしまえば、暴力を行使する者への批判という観方ができるだろうし、戦争に関わる映画に対する批判という観方もできるだろうと思う。戦争娯楽映画のような装いを持たせていて、実際のところはそういう映画をカリカチュアライズしている。
また一方で、特にランダ大佐のラスト間際の長喋舌を聞いていると、それが最近、中東で戦争を始めてしまった勢力への批判のようにも観えてくる。その意味でもラストは痛烈な断罪の批判として効いてくることになる。