■劇場にジブリ映画を観に行ったのはもしかしたら『ナウシカ』以来かもしれない。『かぐや姫の物語』を観に行ったのは話がどうこうではなく(かぐや姫はかぐや姫だろうし)、その技術的な到達点を目にしておきたくなったから。手描きのアニメそのものは珍しいかもしれないけれど、昔からあって、ただ『かぐや姫の物語』の場合はCGで処理して手描き風に仕上げているというのが面白い。PSPのゲームで『大神』がキャラクターの描線を水墨画風に仕上げているけど、それに似ているのかもしれない。
最初は手描きアニメとあまりにも変わらない絵でちょっと拍子抜けしたのだけど、手描き風ならではでの表現手法や多様な色彩にだんだん引き込まれていきました。輪郭線を持つ伝統的なセルアニメの描線を持つスタイルはそれ自体が表現手法の制約になっているように思うのですが、その制約がはずれた表現はマンガ的な表現スタイルを自在に取り込めているように思いました。
描線そのものが感情表現の手段として使う手法も、既成のアニメでは使われていますが、その場合はシーンを切り替えて、従来の描線カットと切り分けていたと思うのですが、一つのカットの中で描線の変化が自在に行き来していたように思います。ほかにもあくまでも「手書き風」という点では、薄衣をまとったときの半透明の処理や、床への映り込み、垂れ下がる桜の枝の間で舞う姫の手前を枝が横切る処理など、CGだから処理しやすかっただろうシーンが幾つかありました。
ただ、ちょっと長い。話そのものは広く知られているパターンに、かぐや姫自身のエピソードを膨らましたもので、展開はほぼ裏切られない。「竹取物語」を思い返してみると、あの原型の話ではかぐや姫そのものは添え物的な存在で、あまり存在感がないことに思い当たります。「かぐや姫」は一種の舞台装置であって、彼女を取り巻く周囲の人々が物語の主役なんですね。
『かぐや姫の物語』はそのあたりをひっくり返して、「かぐや姫」にフォーカスしています。その結果、当然、月から地球になぜやってきたのか、というあたりが重要な意味を持ってくると思うのですが、その点はあまり触れられず、なんだか唐突な理由で月に戻ってしまうというのはちょっと残念な感じもしました。
『かぐや姫の物語』の背景に置かれたテーマそのものは、確かにそれもありふれたものではあると思いますが、あの「手描き風」の絵とあいまったとき、ずいぶん新鮮に見えたのではないかとも思うのです。