カッティングエッジ
§Episode-7:軍鶏

 大下はハマっていた。
 バイトを終えてからマッシュポテトに通う日々が続いていた。バイト仲間――坂下や高木にはもちろん、菱井にも内緒にしていた。坂下に負けたのが悔しくて毎日練習を重ねているとは言えなかったからだ。
 しかし、結果ははかばかしくなかった。ソリティアではそこそこの勝率を上げてはいたが、他のプレイヤーとの対戦でのポイントは頭打ちだった。常連が四十人ほどいる店で、二十位付近を上下していた。坂下と高木は当然のように一位、二位を争っており、大下には近寄ることすらできない。
 ゲーム・コクーンが開く。
 詐欺だ、と負ける度に思う。思うように動けないからだ。マッシュポテトに置いてあるゲーム・コクーンは二年前に緑陽エンターテイメントシステムズからリリースされた、今では時代遅れのタイプだった。
 ゲーム・コクーンそのものはCG技術で定評のある米国の大手映画会社と緑陽との提携で五年前に開発された体感映画用のVRディスプレイ装置――コクーンを直接の先祖としている。それ以前にもジョイントポインタとゴーグルの組み合わせによるVR装置はあったが、装置をいちいち装着する手間が煩わしいことと、VR空間からのフィードバックを戻せないという欠点があった。コクーンはそのデメリットを解消したが、しかし、本来鑑賞用として設計されたため、アーケードゲームのようにプレイヤーが積極的にVR空間に働きかけるシステムに元々不向きではあった。
 とは言え、マンマシンインターフェース開発を行う各社はゲーム・コクーンの改良に努めている。ゲーム・コクーン開発で得られた技術ノウハウは各種工作機械や無人偵察ドローンの遠隔オペレーション技術に転用が利くからだ。
 最新のコクーンは、まず各社研究所があるMEZo(幕張経済地域)やYEZo(横浜経済地域)でロケテストが行われ、その後世界中に流通していく。製品のリリースサイクルはまだ短く、マッシュポテトのような小さなVRハウスではそうそう頻繁に買い替えることはできなかった。
 大下はそうした仕組みを知らない。MEZoまで足を伸ばせば最新のゲーム・コクーンを試すことができるのだが、もちろんそのことも知らなかった。

「大下さん、入れ替えがあるらしいっすよ」
 レジに立っている時、菱井が言った。二人ともライムグリーンのエプロンを身につけていた。大下は聞き返した。
「マッシュポテトの店長がこないだ話しているのを横から聞いたから確かですよ。コクーンを紫水の最新型に入れ替えるそうです」
「なんかいいことあるのか」
「最新型だと断然使い易いって話ですよ。腕とか足とか、結構自由に動かせるとか。それと、CEもバージョンアップするそうです」
「バージョンなんてあったのか」
 菱井は短く笑った。
「そりゃありますよ。今までのは2.0。入れ替えるのは2.1。バグフィックスをやって、学習モードが追加になった奴です」
「学習って、何だそりゃ」
「プレイヤーの癖や攻撃パターンをCPUが学習するモードです。自分と対戦するようなもんですね。自分の癖や無駄な動きがわかるから、結構便利なんじゃないですか」
「‥‥なるほどね」
 大下はさりげなさを装って答える。その時客が入ってきて、ゲームの話はそれきりになった。

 新しいコクーンは旧来のものに比べ、内部容積が若干大きくなっていた。容積が増えた分、手足を動かす自由度も上がる。マッシュポテトは古いコクーンすべてを新型に入れ替えていた。客の数が変わるわけではないので、大下はいつも通り、たいして待たされることもなくコクーンに入れた。店員が内装を軽く拭きし終えるのを待って、素早く滑り込む。新しいコクーンは、ビニールとオゾンの臭いがした。
『ウェルカムトゥバトルフィールド』
 球形の空間に声だけが響く。大下の全周囲を様々な景色を映すパネルが軌道を描いて取り囲んでいる。大下はコクーンに入る前に念入りに読んだ説明書きの通りにモードを選ぶ。
「カッティング・エッジ、ラーニング」
 パネルの動きが早まり、停まり、彼の正面にあるパネルが急速に近づく。大下は気が付くとパネルの景色の中にいた。
『ブラッシュアップユアソウル』
 大下はどこか寺院の中庭のような場所にいた。風雨にさらされ、表面が粗くなった石で組まれたステージ。その向うに立つのはリー。リー・ユンファ。中国返還後二度目の開発ブームに沸く香港から、失われた家宝「蒼眼」を探して探索の旅に出た、という設定を背負っている。
『さっさと家にかえるがいいネ』
 リーが訛りの強いSEAC(東南アジアクレオール)で喋った。もしプレイヤーが英語圏の人間だったら、リーは商用英語で喋る。
「女を痛める趣味はないがな」
 大下は呟く。ゲームの相手が女性キャラの時、大下は決まってそう呟いた。
『レディ‥‥ゴゥ』
 大下は突進した。

 新型のコクーンは旧型と比べると「ずっとまし」だった。まだまだ腕や脚の動きに加えられた制約は大きいが、それでもかなり自由に動かせる。大下にしてみれば、以前よりも自然な感覚で手足を動かせるようになった。自分の身体感覚がネイティブに通用するほどゲームはプレイしやすい。
 大下は、ラーニングモードにハマった。勝率はじりじりと上がっていた。劇的な上達というわけではなかったが、腕を上げているのは確かに感じられた。
 クリスがブロンドの長髪をなびかせて、激しく打ち込んでくる。大下はその攻撃一つ一つを見切り、かわす。クリスの攻撃は間髪を入れない厳しいものだったが、単調な攻めだった。
 クリスの攻撃に隙ができた。その瞬間を大下は見逃さない。防御から攻撃に移る。ボディへの連打。軽い足ばらいとのコンビネーション。クリスは巧みに防ぐが、大下は力押しで相手のディフェンスを押し破ろうとする。
 拳に手応えが返る。
 しかし、クリスの防御は手堅く、大下の攻めはずいぶん威力を削がれている。
  大下はダレてきた。プログラムは大下の時間当たりの攻撃頻度が低下していくパターンを検出し、次回のラッシュ開始にむけてパラメータを調整していく。
 大下の腕が下がった。プログラムはそのポイントを見逃さない。クリスは果敢なラッシュに出る。大下は腕を上げてガードしたが、その腕が容赦なく叩かれる。大下は必死にこらえた。
 不意に連打が止む。大下がガードを降ろしかけたとき、脇腹に激しい衝撃が加わった。クリスが強い蹴りを入れたのだった。大下のガードが崩れる。クリスは飛び上がり、着地ざま大下の後頭部を打った。
 視界がブラックアウトする。
『ユウ、ローズ』
 声だけが聞こえた。

 繭から出ると菱井がいた。大下はばつの悪い思いを味わう。
「いたのか」
「大下さん、いたんですか。新型はどんなもんです」
 菱井はいつものように口元に笑みを浮かべている。
「まぁまぁだな。‥‥でも、まだまだ話にゃならんよ」
「ひょっとして、さっきクリスと連打戦やってたの大下さんですか」
「うー‥‥まぁな」
「あれ、ラーニングモードでしょう」
「わかるのか」
「そりゃあ‥‥」
「菱さん」と大下は菱井を遮って言う。「場所、かえよう。ここはやかましい」
 菱井はひょいっと頷いた。二人は連れ立って電子音の海から脱出する。
 風は冷たく、陽射しは明るいばかりで熱が無かった。秋も半ばに入り、街の景色はどことなく白けていた。二人の足は荒川の水上バスターミナルへ向かっていた。バスターミナルまでは一キロ強ほどの距離がある。ターミナルそばの河原は手入れが良く行き届いた公園になっていた。
「どうにもうまくならなくてなぁ」歩きながら大下は言った。「なかなか順位が上がらないんだ」
「気になりますか、順位」
「菱さんは気にならないのかい」
 菱井はそれに答えなかった。
「‥‥あの店のトップクラスは宏一と高木さんですよね」
「はっきり言って、シャクなんだよなぁ。モノホンの喧嘩なら負けはしないが、それはマズイからなぁ」大下は冗談めかして言う。「やっぱ、ゲームはゲームだよ。感覚が違うからどうもやりにくい」
「そりゃ、そういうもんですよ。皆それでやってるんだから、平等ですよ」
 会話が途絶えた。菱井は不意に口元の笑みを消した。
「大下さん、たぶん、宏一は順位なんか気にしてないと思いますよ」
「そりゃ、トップにいりゃ、気にする必要はないさ」
 そういう意味じゃないですよ、と言いかけた菱井を遮って、大下は続ける。
「そういえば菱さん、なんで乱打戦やっていたのがオレだって解った?」
 菱井は軽く肩をすくめた。
「言ったでしょ。ラーニングモードは自分の癖を真似るんです。自分自身を相手に勝負するようなもんです。あれはどっちも大下さんのスタイルでしたよ」

 18時を過ぎた頃には、もう宵闇が終っている季節になっていた。風も冷えている。この時間帯は出来合いの弁当を買う客で店はにぎわう。千住周辺では北千住駅を中心とした広範囲にわたる再開発プロジェクトが進行中であり、多くの労働者が流入していた。それだけに他の地域にある店と比べるとその混雑ぶりは際立っている。そして、雲霞のように押し寄せる客をさばく主力は、大下たち古参のバイト店員だった。セルロースパックに詰められた弁当をレンジにほうり込み、棚からの品切れを事前に察知し、客の気まぐれな注文に応じる。誰でもできる仕事かもしれないが、要領良くこなすにはそれなりの年期がいる。
 雲霞のように押し寄せた客は、建設現場のシフト時間が切り替わる頃を境に、目に見えて少なくなった。ぱらぱらと立ち寄る客は企業町を持たない系列外企業のサラリーマンや、「朝食」を買いに来た学生など。
「それじゃあ、あがらせてもらうわ」
 大下はレジに残る菱井と高木に軽く手を振って奥に引っ込む。裏口の前には一足先にあがっていた坂下がいた。
「宏一、まだ残ってたんか」
「すぐ退けますよ」
「マッシュポテトに寄るのか」
 坂下はにやりと笑う。
「ええ。まぁ」
「俺も付き合っていいか」
 坂下はまじまじと大下を見つめた。しかしそれも一瞬のこと。
「ええ。いいすよ」

 実在しないステージ。すべては数千万テラバイトオーダーのメモリ空間に展開されたブール情報の集積。大下はカッティング・エッジに使われている仮想現実技術について詳しいことを知っているわけではないが、自分が存在しているゲーム空間が存在していないことはもちろん承知していた。
 大下は時々、不思議な気分になる。
 ――この空間が本当は無いのだとしたら、ここでやってる試合も本当は無いのだろうか。
 ステージは廃虚のような西洋の城の中庭。畳のような岩を敷き詰めたステージの向うにアキラがいる。
 あのアキラは宏一が操作しているはずだ。俺は宏一と試合をしているはずだ。
『レディ、ゴウ』
 アキラは出会い頭に妙な手付きで軽く打ち込んでくる。
 ふざけやがって。
 彼には坂下のアクション・トークを読み取ることができない。大下はすぐさま打ち込み返す。大下の戦術は相手に反撃の余地を与えないことだった。一方的に攻め続けること。特に坂下が相手では守勢に回ったが最後、勝機は望めないと大下は考えていた。坂下とは何度か拳を交わしたが未だ一度も勝ったことがない。いや、実を言えば勝たせてもらったことはあった。しかし大下はそれを勝ちには数えなかった。数えたくなかった。大下は勝ちたかった。坂下に全力を出させたうえで勝ちたかった。
 アキラは大下の攻めをきれいに受けている。大下は焦った。攻めが全て読まれている。読まれていたのでは攻め続けても意味がない。それは無用に体力を使うだけだ。
 大下に迷いが生じる。アキラはその隙を見逃さなかった。あっという間に足をすくわれてひっくり返る。試合の流れがそこで変わった。大下は敗北を予感し、その予感は的中した。

「また負けちまったか」
 繭を出て大下は言った。
「でも、ずいぶん馴れてきた感じすね」坂下は僅かな笑みを浮かべて言った。「ただ、あのラッシュはちょっと単調でしたね。蹴りとのコンビネーションとか、バリエーションをつけないと」
「そうか」大下は悔しさを隠して答える。「順位が全然上がらんのはそのせいかな」
「順位、ですか」
 坂下が不思議そうな面持ちで答えた。その表情が大下の癇に障った。
「お前と高木はトップクラス。俺は中くらいだよ。全然上がりゃしない。‥‥トップに居続けるのは気分いいもんだろうな」
 坂下は何と答えたら良いのか迷っているように見えた。やがて口を開く。
「‥‥いや、そんなもの気にしたことはないです。僕は順位を上げるために繭に入るわけじゃないんです」
 大下はその答えに戸惑い、坂下を黙って見返すだけだった。
 俺の一人遊びだった、てことか。
 大下は思った。


'Cutting Edge'
Satoshi Saitou
Create : 1996.02.01
Publish: 2010.05.23
Edition: 4
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