カラス
5.

「〈追い払う翼〉、道を案内してくれないか」
「どこへ行くの」
「今来た道を引き返すんだ。頼むよ」
「無駄なのに」
 〈翁様〉が口をはさんだ。
「好きなようにさせてやれ」
「〈翁様〉がそう言うなら‥‥」
 暗闇の中で羽ばたく音がして、わたしの肩に〈追い払う翼〉がとまった。
「わたしが案内できるのは竹薮を出てからしばらく行ったところだけだよ。そこから先は暗すぎる」
「ここより暗いところなんて想像できないね」
「何言っているの」
「とにかく案内してくれ」
「まっすぐ歩きなさい」
 本当にそれでいいのか。しかしわたしには〈追い払う翼〉の言葉を信じるより他にない。わたしは前に歩き出した。
「わしはここで待っていることにするよ」
 〈翁様〉が言う。待っている必要はないよ。わたしはそう言おうと思ったが、口には出せなかった。〈翁様〉の声は自身たっぷりだった。
「〈追い払う翼〉、本当にこの暗闇の中で見えるのか」
「ここは暗闇なんかじゃないのよ。〈翁様〉もそう言っていたじゃない」
「しかし‥‥」
 暗いと思っているから暗いのか、それとも暗いから暗いと思うのか。わたしには後者が自明であるように思える。しかし〈追い払う翼〉はそうではないと言う。
 ――幽霊の正体見たり枯れ尾花。幽霊がいると思って見れば幽霊に見えてしまう。なるほどそういうことはあるだろう。しかし明るい、暗いということまで左右されてしまうのだろうか。
 〈追い払う翼〉の言葉を信じれば、そういうことなのだろう。
「薮を出たわよ」
 わたしには多少明るくなったように思えた。薮を抜けたからなのだろうか。
 足元に草を踏む感覚があった。柔らかい。
 先に進むにつれ周囲が見えて来るようになった。わたしは街灯がぽつんと灯る十字路へ向かって歩いていた。街灯のそばには明かりの消えた住宅が建っていた。
「簡単に帰れそうじゃないか」
「わたしには帰り道なんて判らないわよ」
 〈追い払う翼〉が言った。わたしは内心腹を立てていた。あくまでも帰り道がないと言い張る強情さに対して。
 わたしは十字路に出た。三方にそれぞれ目をやるが、いずれの道も闇の中へ消えていた。
「どの道だ」
「わたしには判らないってば」
 わたしは来た道の方向にそってまっすぐに歩いた。街灯の明かりを受けて、影が足元から長く伸びる。街の騒音はまったくなく、自分の靴音しか聞こえなかった。
 心細かった。人気のない夜道にカラスだけが道連れ。わたしは走り出そうとする衝動を必死に抑えこんでいた。
 背後から届く街灯の明かりは、先へ進むにつれ弱々しくなり、しだいしだいにわたしは闇の中へ入り込んでいた。アスファルトの舗装はいつの間にか砂利道に変わり、砂利道は雑草の生い茂る田舎道へ変わった。わたしはその変化を足の裏の感覚で知った。
「〈追い払う翼〉、前が見えるか」
 わたしは訊いた。わたしにはもう、周囲は完全な闇だった。
「見えるわよ」
「何が見える」
「竹薮」
 そんなばかな。そう思ったとき、わたしは聞き覚えのある、もう一つの声を聴いた。
「ずいぶんゆっくりだったな」
 〈翁様〉だった。
 円環の中にいる。わたしは思った。

'The Raven'
Satoshi Saitou
Create : 1997.07.27
Publish: 2010.05.31
Edition: 2
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